恋外202003

ひとふで小説|レンガイケッコン(14)

これまでのお話:第1話収録マガジン(前回まで)


(14)

 駐車券を誰が持っているか忘れているのだろう、精算機の前で立っている蓮本の表情はみるみる翳っていく。
「…管理人さん…私もしかしたら…」
「駐車券ですよね?」
 徐に顔を上げた蓮本は隣に立つ東之を振り返って首を縦に振ると、今から涙目になる用意が整った顔をして、普段より上ずった声で言った。
「そう…!どうしよう、駐車券なくしちゃったかも…紛失した時ってどうするんだろう、初めて失くしたから…管理事務所に電話すればいいの?どこかに書いてあるかな…、待って、ごめんなさい、お昼休み終わっちゃいますね。あ!タクシー!タクシー拾いましょうか、そうだ!タクシー拾いましょう!いっぱい通ってるから!私が精算します、ごめんなさい本当に…待ってね、拾ってくる」
「あの…西関さん、来たとき、私が取ったので…駐車券」

 時間が止まったみたいに、間が空いた。

「…………えっ?…ああ!あ、そうか!そうだ、颯爽と持ってった。思い出した思い出した、やだあ〜、ごめんなさい、いつも自分でやるから癖で」
 気付いていながら黙って持っていた相手を責めても良さそうなのに、気さくに謝る蓮本を見て、東之は些かバツの悪い思いを抱いた。

 それから、「いつも自分でやる」という蓮本の言葉に憧れと嫉妬が乱暴に混じった何か、を感じる。自分の居心地の良し悪しはともかく、リテラシーの更新だけはなるべく怠らぬようにと意識し続けたつもりだったが、自分が今感じた何かが、時代錯誤の証左として心に顔を出す。
 こういう“シミ抜き”に失敗した箇所は、きっと自分で気付いていないだけで、いくつもあるのだろう。運転を始めとする車の扱いは男性の専門と謳われて疑わなかった大昔、いつの間にかついた“シミ”が心のどこかに残っていることにも今気づいてしまった。
 駐車券の扱いまでを「いつも自分でやる」と聞いたとき、“男性とデートするのに”、車に関する何から何までを自分で行う蓮本を思い浮かべ、あまつさえ「かっこいい」と思ってしまったのだ。かっこいい理由は、運転技術の安定感や、車両の重厚感と磨き上げた美しさからではない。“女なのに”、と思ってしまった。リードされるはずの側なのに、彼女、なのに、かっこいい。その裏面には蓮本の彼に対する“男なのに”彼女に車のすべてを任せていることへの静かな減点が隠れているかも知れず、それもまた敬意を欠いた話だ。車を扱わないことで「かっこわるい男だ」と思われなければならない理由など蓮本の彼にあるはずもない。
 心の中に備え付けられたカビ臭い押入れから色眼鏡が発掘されるたびに東之は、色眼鏡を一度かけてから自分の拳で自分の顔を殴って割る場面をイメージする。
(こうしてやる!)
 東之自身も免許は持っているし、狭路だろうが悪路だろうが極小の駐車スペースだろうが、必要があれば運転する。実態とかけ離れた苦手意識はない。
 自信の代わりに持っているのは自分の運転技術や人間の集中力への疑いだから「自分の運転に自信がありますか?」というアンケートでもあれば「1.とてもある 2.ある 3.少しある 4.どちらともいえない 5.少しない 6.ない 7.まったくない」の内から「7.まったくない」に丸を付けて、「運転に自信がないと困っている女性の割合は、ナントこんなに高いのです!」みたいな調査結果に一人分寄与することは間違いないだろうが、それは「私は絶対大丈夫」という“自信”がないだけで、運転技術に関しては自己評価を根拠に自己申告できる仕組みではないと考えている。だから、技術は自分で納得できないし、誇れるようなドライバーである自信もまったくない。
 ただ、これまでの運転で困ったことがあったかと言えば、それもそれで、ほとんどない。狭路の避け違いで、物理的にどうしようもない位置に対向車が止まったまま動いてくれない、とか、標識を何度見ても後から最新版の地図を何度読み直しても絶対にこちら側から通っていい一方通行の道で、間違えて入ってきた車の運転手に酷く怒られた、とか、そういう類いでもなければ。
 この古い“シミ”のせいで、一体どれほどの運転に長けた女性が「女のお前が下手だから俺がうまく避け違えなかった」とか「女のお前が変なタイミングで入ってきたから俺の駐車がうまくいかなかった」とか、とか「女のお前が危ない運転をしたから俺が焦って事故を起こしそうになった」とかとか、とか「運転席を見たらやっぱり女だった」とか、断定されたのだろう。一体どれほどの車に興味のない男性が「男のくせに運転すらできないなんて」とか「男のくせに車庫入れを怖がるなんて」とかとか「男のくせにかっこいい車を買えないなんて」とか、とか、とか「あいつ自分の車持ってなかった」とか、馬鹿にされてきたのだろう。
 これらと同質の色眼鏡を通して、「女性なのにかっこいい」と蓮本のデートに憧れた自分が、東之はただただ恥ずかしかった。
 同時に感じた嫉妬もまた、恥ずかしいものだったはずだが、様々な要因が入り組んでいたし、自分に向き合い切れなくて、瞬時には解きほぐせなかった。ただ、きっと、彼女に車のことを常に任せていられる先進的なジェンダー感覚の恋人が居る蓮本への羨望や、単にこんな素敵な車でデートできるカップルの私生活だとか、そういう。要するに、手の届かないものを見ることへの“喜べなさ”だ。
 あんな素敵な男性を助手席に乗せられる蓮本に対する羨ましさもあるかもしれない。自分が助手席に乗せる男と言えば、ほとんど家族や親戚ばかりだ。おまけに、母方の伯父とその息子である東之の甥に至っては、免許も持っていないし車の扱いを一切知らない割に、運転に並々ならぬこだわりがあり教習所の指導教官より指導が多い。助手席に居るのが自分の大好きな素敵な人だったらいいのに、というのはドライバーである時の東之の隠された悲願の一つだ。尤も、そんな大切な人を自分なんかの運転する車に乗せる不安は尽きないが。
 いずれにせよ蓮本に対して感じた全ては、古臭いシミのある自分ならではの感想で、あれはシミの臭いそのものだ。決して外へ漏れ出さぬよう心にしまって、落ち着いてシミ抜きしよう、と東之は心に言い聞かせた。

 蓮本は、
「絶対にここに入れるって決めてるポケットにないから焦っちゃった。習慣って怖いですね」
 と、腰のあたりを軽く叩いて笑っている。
「ごめんなさい、すぐ言えば良かったんですけど、なんか、西関さんみたいな人でも焦ったりするのかーと思って観察しちゃって…。あの、私に払わせてくださいね」
「そう?でも、払わせたくないのが本音。殺虫剤も借りちゃったし」
 律儀なものだと思った。同じマンション住民の中に、ゴキブリ退治に加勢するよう管理人を呼び立てた上に、あの家具とこの食品には殺虫剤が絶対かからないように、と言い残して別室に避難してしまう人も居るなんて、蓮本が知ったらどう言うだろう。愚痴を聞いて一緒に笑い飛ばしてくれやしないか、期待してしまう。
「殺虫剤は私物を貸し出したんじゃないですよ。マンションの備品ですから。管理費だって毎月しっかりお支払い頂いているじゃないですか」
「でも、買い物に付き合わせちゃったし、さっきだってレジで待たせちゃいましたよね。さあ、管理人さん。大人しく私にその駐車券を渡しなさい…。悪いようにはしないから!」
「そうでしょうね、悪いようにはならないと私も思ってますよ。ははは」
 東之が笑ってポケットに手を突っ込むと、蓮本はカラの掌を差し出して指先を内側に軽く往復させながら駐車券の移譲を促す。
「さあ!」
 格闘ゲームで見たことのあるポーズだった。アクション映画でも見たことがある気がした。敵に突き出した手の指を、くい、くい、と自分のほうへ倒す。ほら来いよ、みたいなセリフが添えられているものもあったかもしれない。粗野と定められた動作だと思っていたけれど、可愛げのある仕草でもあったことを東之はこのとき初めて知った。
「うーん、全額払わせてもらうのは少し難しそうですね。でもこのままここで支払う権利を奪い合っている間に駐車時間が延びていくのももったいないので、じゃあ、乗せてきて頂いた上にガソリン代も払っていないので恐縮なんですが…割り勘でどうでしょう?」
「よしその割り勘、ノッた」
 向きを変えた蓮本の掌が握手の姿勢を取ったので、東之は素直に応じた。落ち着いて握った蓮本の手はしっとりとしていたが指先まで冷たく、しみじみと別の人間を感じる。氷でも握らない限りは常にぽかぽかとあたたかい自分の手と、どうしてこんなにも違うのか不思議だった。
(冷え性ってこういうののことで合ってるのかな?)
 他人の身体の様子を感じるほど触れたのは久し振りだ。
 蓮本が握った手に力を込めながら二度ほど小さく揺らす。東之は繋がった手を放す合図みたいにきっぱり一度握り返してから離れ、ポケットから駐車券を出すと、精算機の正面に立って挿入した。
 それからスーパーの袋に放り込んであった長財布を取り出して、タッチパネルに表示された額面を確認しながら小声で総額を口にする。更に小さく、
「割る、二」
 と言いながら小銭入れ部分のファスナーを開けた。
「計算って口に出ちゃいますよね。私もそうなの」
 蓮本は笑顔交じりに言いながら、タッチパネルに手を伸ばす。不意にピッという音が鳴ると、機械は電子化された女性の声で「電子マネーのお支払いです」と言い掛けた。
 厳密には「デンシマ」のあたりで再びピッと鳴り、呆気にとられる東之の横から腕だけ割って入った蓮本の握るスマートフォンによって、一瞬の決済が完了した。
「甘いなー、管理人さんは。人を信じすぎなんだよなー」
「えええ、ずるいです西関さん!」

レンガイケッコン202003

つづく

(作・挿絵:中村珍/初出:本記事)

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noteは超・不人気マンガ家(中村珍)が無職になったとき「自力でweb雑誌みたいなのやって描き続けよう」と思って始めました…が、存外にうまくいき、おかげ様で今は忙しいです。犬と、ゲームと、マンガ描くのが好きです。| https://ching.tv

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