恋外201910

ひとふで小説|レンガイケッコン(10)


これまでのお話:(第1話)〜(収録マガジン

(10)

「こんな作業服でこんな綺麗な車に乗るの、申し訳ないですね…。車側も想定してないんじゃないですか。…えっこんなダサい格好の人乗せるの?って思って、急にエンストしたりするんじゃないですかね…」
 駐車場の中を徐行している時、東之が言った。両脇に並んでいる車の中には、蓮本の愛車をゆうに上回る高級車も並んでいたが、それでも内装も外装もこれほど手が行き届いている車はそうそう見つからなかった。
「いいじゃないですか、作業服。私好きですよ。私、前職は自動車整備士だったんですが、その頃なんか、毎日作業服に袖を通すたび、かっこいいー!って思ってました。今だって、作業服を着た時より気分が上がる洋服なんて出会ったことないですよ。もう、着なくなっちゃいましたけどね」
「お仕事のイメージ的にもう着ちゃダメなんですか?」
「うーん、それもなくはない…かな、でも、メンタル的にって言うのが合ってる…かも、知れない、ですね。晴れ着だったんですよ、作業服って。私にとっては」
 駐車場の出口に差し掛かると、蓮本は特に注意深く周囲を確認した。
「あああ…おじいちゃーん…」
「おじいちゃん死なないで…西関さんじゃなかったらハネられちゃってもおかしくないぞ〜…」
 一台、駐車場の出口の前に注意の様子すらなく侵入して、そのまま車道の真ん中をヨロヨロと蛇行していく自転車を見送ってから、どこからも誰も来ないことを確認して車道へ出る。
「もう車の現場を離れて長いのに…未練がましい言い方になっちゃうんですけど。私は、今の仕事は、ブログ書いてて出版社の人にスカウトされた形なんですけど、ブログ書いてただけの頃は息抜き程度だったんです。仕事から帰って、お風呂入って、ご飯食べながら勉強して、寝る前にチョロっと書くだけ、みたいな。だけど、そのうちコラムや本の執筆依頼が結構もらえるようになって」
 一方通行の宅地路を抜けながら、車内ではカチカチとウィンカーの音がする。東之は、蓮本が突然自分を振り返ったと思ってドキッとしたが、単に後方を目視するためだった。
 お昼のオフィス街、横断歩道は人が多くなかなか通過できない。蓮本は苛立つ様子もなく、じっくり歩行者が渡り終えるのを待ちながら、ただしっかりと道の隅々までを見渡していた。
「…なんだっけ…あそうだ、原稿の依頼が来るようになったんだけど、やっぱり…私は器用じゃないから、そんなにすぐ書けないんですね。いい原稿。…いい原稿なんて、今だって書けたことないですけど。だから、仕事が終わってから原稿を頑張ろうとすると寝不足になるしかないなーって感触で。でも寝不足になってまで原稿を書いたとしたら、ぼんやりした頭で工場に出社なんて最悪じゃないですか、私が扱うものは、すごいものなんです。危ないもの。凄い力で動く金属の塊。運転する人、乗る人、その車とすれ違う街の人すべての命を預かるものなのに、個人的な心の掃き溜めみたいな原稿にうつつを抜かすことと、誰かの一生が天秤に掛かるって、最悪でしょう?それで、どっちを取るか悩んで、やっぱり車かなって思ったんですけど…」
 漸く道を曲がると大通りに出た。両脇の飲食店に列ができたり、コンビニからは絶えず人が出入りしているのが見える。行き交うのは営業車だったりファミリーカーだったり、出前の原付だったりする。タクシーも多い。歩道を行くのはスーツ姿の男女がほとんどで、その中に幾らか老人やベビーカーを押した女性などが混じっていた。
 車窓は街の大まかなすべてを見渡せて楽しい、と東之は思った。
「…ちょうど原稿の依頼が増えた頃、工場のほうでも信頼してもらえるようになってきて、接客…接客っていうか、カウンセリング、ヒアリングみたいな、どんなことでお悩みですかーみたいなところから整備に至るまでを丸っと、もちろん先輩や同僚たちと共同で作業する部分もあるんですけど、主にこの人があなたのお車の担当ですよ、みたいな立ち位置で、やらせてもらえるようになるんです。私もそうなった頃で、やっと個別担当につける!って思っていたら、お客さんから次々と担当を男性整備士に変えてくれっていう苦情…要望…が入るようになったんです」
 東之はそこまで聞いて、もう、この後どうなるのかの予想がついて胸が痛くなった。思わず言った。
「ひどい。最悪」
 車窓の景色は心に届かなくなっていた。ぼんやりとただ、流れていく。
「…ありがとうございます。工場の人も庇ってくれたんですよ。工場長なんか特に、先輩たちも、同僚も後輩もみんな私のこと庇ってくれました。お客様のお車は西関がお預かりして、不調はすべて直りましたよね、お預かりする前よりずっと調子が良いです、作業は全部こいつがやりました。西関がお預かりした車は今も好調なんですよね、こいつの仕事は丁寧なんですよ、って、みんなお客さんに説明してくれたんですけど、やっぱり女じゃ不安だ、今は良くてもいつ壊れるか分からない、その時お前らは責任取れるのかって言われて。工場長なんか、取ります!って言い切ってくれて、いい職場だったんですけどね。今はね、きっと私の頃より女性の整備士も増えて、そんな理不尽言うお客さんは減ってるといいなって思いますけど」
 泣き出すような、それとも今から微笑むような眉をして、蓮本は溜息をついた。
「増えてるといいですね。車が好きな女の子が働きやすい環境…。私も、西関さんを前に車好きですって言うのは、プロ野球選手を前にして、バッティングセンターで遊んでるだけの私が野球好きを名乗るようなものだから、気が引けるんですけど…」
「そんな!ふふふ」
「わりと車好きなので、私も。好きなものを好きでいることを、邪魔されないといいなっていうのは、いつも思います」
「そうですよね。私もそう思います」
 目当てのスーパーがある通りと交差する大きな交差点に差し掛かる手前で、慎重な確認を繰り返しながら蓮本は車線を変えた。
 東之はウィンカーの音が好きだった。特に理由はないが、走行する音の他に、もう一つ加えて、自分たちがどこか遠くへ行けるような期待、確実にどこかへ向かう決断をしたような感覚を覚えるからかもしれない。
 文学的には“人生の交差点”みたいな言葉もあるくらいだから。その時に必ず鳴る音に惹かれるのかもしれない。
「結局、その職場は辞めてしまったんですか?」
 蓮本は表情を変えずに様々な方角をきびきびと確認しながら、交差点を曲がり切ったところでやっと口を開いた。
「辞めました。いい職場だから頑張りたかったし、かなり引き止められたんですけど…。やっぱり落ち込んじゃって。若かったから、今より図太くなかったし。……担当したお客さんが怒鳴り込んできたことがあったんです。タイヤがパンクした、と」
「西関さんがタイヤにクギでも打ったって言うんですか、その人は…」
「ふふふ。かもね。…その人は、私が担当して点検した時にタイヤ交換をお勧めしたお客さんだったんです。結構劣化しちゃってて。でも、幸か不幸か溝は法規上問題ないだけ残ってたんです。だからお客さん、溝はあるだろ!そんなことも知らないのか素人め!高いタイヤ売りつける気だろ!って言うの。言いたいことは分かるんだけど、でも、危ないんですよ。ヒビもね、ヒビって言っても、普段近所の道を走るだけで、高速にも乗らないし、これなら様子見てても大丈夫かなっていうレベルのものもあるから、今すぐ変えろとは必ず言えないんだけど。そのお客さんは聞く限り急激に状態が悪化するような環境にも思えなかったから、無理は言わなかったんです。お話を聞いている感じだと経済的に難しいのかなっていう気がしたので、上司にも見てもらって、その上で、乗る時にヒビの様子をチェックしてください、溝も時々見てくださいね、ご予算に収まるタイヤを探すお手伝いもしますからね、それから、高速道路に乗る前には見せに来てくださいね、いつでもお電話くださいね、みたいな感じで、上司と一緒に見送ったんです」
 途中まで話したところで、前方にはスーパーの看板が見えてきていた。
「…管理人さん、あのスーパーで合ってますか?」
「あ、はい!」

 上京するまで、東京が車を停めるだけでお金が要る街だなんて知らなかった。いや、そもそもお店に駐車場がない可能性なんて、考えてもみなかった。田舎では、買い物と、車をなんとなく停める行為は、いつだってセットだったのに。
「あ、残念。スーパーの駐車場は満車ですね。近く探しますね。ごめんなさい、管理人さんお昼休み限られてるのに…」
「全然、全然です。私なんか乗せて頂いてるだけで、ドライブを楽しんでいるんですから、既に昼休み満喫してるんです。運転って、いくら好きでも神経使うから疲れるじゃないですか…。だから本当にありがとうございます」
 蓮本は道路の状況を確認しつつ、駐車できる場所を探した。東之は蓮本がサイドミラーを見る邪魔にならないよう、シートにしっかりと背をつけながら、やはり駐車場を探した。
「あはは、そんな…。管理人さんは気遣いすぎですよ。さて、パーキングー…近くのパーキングー…あるといいな…あーるかな…あー…る、あ!ある、ありますね、空、空車だって。あああぁぁ良心的な駐車料金…よかったー…」
 よもや、元より駐車スペースのある戸建やマンションに住まうか、家の付近に駐車場を借りるかして、やっとの思いで持った車で、いざ出掛けようとしたら今度は10分や15分、恐ろしい地域では6分や8分というワケのわからない刻みで加算されていく駐車料金を思い切って払える人種だけが、のんびり車で買い物に出掛けられるだなんて。空いているだけでなく、手頃な料金の駐車場を探して彷徨うだなんて。
(田舎者の私ゃこんな厳しい世界の仕組み知らなかったよ…)
 車で出掛けるときばかりは、息苦しい故郷が恋しくなる。車の所在は、都会のほうが息苦しい。
「あの、西関さん…。駐車場の料金は私に払わせてくださいね」
「スーパーにも殺虫剤は売ってますから。私の用事ですよ、これは」
 コインパーキングに注意深く乗り入れると、蓮本は唯一の空き枠に愛車を近付ける。そうでなくても狭い敷地には、車長のあるセダンやワンボックスばかりが停まっていた。
 東之からすれば熟練したドライバーでもそれなりの回数の切り返しを避けられない環境に見えたが、蓮本は迷うことなく最低限の切り返しだけで手早く車を収納した。
「西関さんすごいですね…さすが…。ハンドル操作、綺ッ麗ですね…!感動しました、何今の?前のお仕事柄ですか?」
「工場だと結構狭いところに車移動させますからね。よい…しょ、ごめんなさい、ロック板に乗るから揺れまーす」
 フラップ板を乗り越えて間も無く車は停まり、ギッと、パーキングブレーキを踏み込む音がした。
「さ、行きましょう」

 コインパーキングは、空き枠に車を停めてから枠番号を精算機に入力して、駐車券を手動発券する仕組みだった。蓮本が上体を少し屈めて駐車枠の番号を確認していると、すっ、と大股で追い抜いた東之が手早く精算機のボタンを押して、発券を済ませる。
「6番です」
「管理人さん、エスコートに慣れてるの?ずいぶんスマートじゃない?」
「そんな評価をして頂けるなら、父にやらされ続けた甲斐がありました」

 昼時のスーパーはそれなりに賑わっていたが、近隣の弁当店やコンビニ、飲食店とは異なり、“生活の買い物”に来る層が多いのか、総菜や弁当類の在庫は潤沢だった。東之は鶏の炊き込みご飯にいくつかの和惣菜や漬物が添えられた弁当と、小さなサラダを一つ選んでいた。
「美味しそう。私もお弁当買って帰ろうかな…」
 そう言って蓮本が弁当を三つ手に取ると、ふっと笑った東之は小声で言った。
「いいなぁ、二人で仲良くつつくんですか?」
 スーパーの惣菜売り場では録音された呼び込みと陽気な音楽が延々と流れており、二人の小声は周囲に漏れていない。交際相手が居ることは蓮本自ら公にしているため、マンションの管理人をしていて知り得た情報ではないのだが、念の為、東之は付け加えた。
「仲良くしてらっしゃるの、ご著書で拝読しましたよ」
「いえ…あの、そう言われた後に答えるの恥ずかしいんですけど…、このチーズハンバーグ弁当は、さっき朝ごはん食べたばっかりなんだけど、食べ足りないから…私が帰ったらすぐ食べる分。こっちのソースカツ弁当は今夜。…彼は同僚の出産祝い会で遅くなるから会えないって言ってたから。一人で食べる用。…ちなみに出産祝いを開かれている間、その同僚の妻子が家でどうしているのか聞いてみたけど、誰も知らないそうなので、生まれて間もない赤子と産褥期の妻を家に放っておく共犯者かも知れない人間を放っておくのは本当に心苦しいけど、彼一人だけに行くなと言っても抜本的解決にはならないので、とりあえず考えないようにしています…」
 蓮本はいかにもお恥ずかしいと言ったていで俯いた。
「…ああ、わぁ…」
 東之も口を結んで、少し眉を顰め、三、四回、軽く頷いた。手には小さな大学いものパックを持って、頷くのと合わせて小さく跳ね上げ、ぽん、ぽんと手の上で踊らせている。
「…西関さんの彼氏さんが行く集まりにああだこうだ思うのも気が引けるんですが…、難しいですよね、こういうの受け止めるとき…。里帰り出産とかで、赤ちゃん見ててくれる人が居て、辛い時期のサポートをしてくれる親御さんがそばにいるから呑気に外で祝われていられるんだろう。とか、きっとこれから育児で忙しくなるから、夫を思い遣った妻が、遊んでおいで!って送り出してくれたんだろう。とか、何かポジティブな解釈を探して納得しないと心が苦しくなりますね…。いや、夫婦の間で気にしてないことなら全然いいんですけど。外野がとやかく言うことじゃないし。一晩ぐらい行っておいでよ、って気持ちよく話がついてる場合だってたくさんあるでしょうしね」
 今度は蓮本が口を結んで、少し難しい顔で、二回、深めに頷いた。
「…それで、チーズハンバーグ弁当とソースカツ弁当がどうなるかは分かりました。カツ丼は?」
「カツ丼ね。これは、難しい問題なんですよね。私はこの売り場に着いた瞬間から、今夜は絶対トンカツって決めたんですけど、正直ソースか、卵とじか、何でカツを食べるのか、そこんとこの決断ができていないんです。それで、心変わりした時のための予備です。余った方は明日のお昼に食べるつもり。以上、全部一人でつつくお弁当のラインナップでしたと」
 三つの弁当がそれぞれ何を担うかの説明を聞き終えた頃には、東之の顔もすっかり緩んでいた。
「西関さんは今晩、卵とじの、カツ丼のほうを食べてしまうと思いますよ」
「どうして?」
「今こうやって言われたせいで、かな?」
「やだぁ、疑問形使うような熱量で適当な呪いかけないでくださいよ」

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つづく

■シリーズの収録マガジンと一覧
「ひとふで小説」は、何も考えずに思いつきで書き始め、強引に着地するまで、考えることも引き返すこともストーリーを直すことも設定を詰めることも無しに《一筆書き》で突き進む方法でおはなしを作っています。
 元々は、具合悪くて寝込んでいた時に「いつも通りストーリーを練って本腰で働くほど元気じゃないし、長時間起き上がって作画するのは無理だけど、スマホに文章を打ち込めないほど衰弱してるわけでもなくて、ヒマだなー…」っていうキッカケで、スマホのテキストアプリに書き始めました。いつもは構成も展開もラストシーンも大体決めて原稿に取り掛かるので、たまには違う作り方も面白いから、即興で突き進み、溜まったものを小出しにしています。挿絵も、こまかい時間を活用して、ご飯を食べながらとか寝る前にiPadで描いています。
 珍しく無料記事として物語を放出している理由は、今のところ「日常の空き時間に、細かいことは何も考えずに、ちゃんと終わるかどうかもまったく分からずに、勢いで作っているから」という、こちら側の気の持ちようの問題です。(他の無料記事が同じ理由で無料というわけではありません。)

(作・挿絵:中村珍/初出:本記事)

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noteは超不人気マンガ家(中村珍)が無職になったとき「自力でweb雑誌みたいなのやって描き続けよう」と思って始めました…が、存外にうまくいき、おかげ様で今は忙しいです。犬と、ゲームと、マンガ描くのが好きです。| https://ching.tv