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物語に〈同性愛者〉が出てくる《必然性》なんか無くていい

「同性愛者を描くことで、俺にLGBT疑惑がかかったらどうしよう」「LGBTを描こうかなと思ったけど登場させる必然性が見つからない」…などなど、同業の先生がたが仰っていました。

むむむ、なるほど…。

いや、私は「ストーリーを作る人たち、もっと、通行人や風景として、なんとなく同性カップルを登場させてくれないかな〜」「特に同性愛に着目しない作品にこそイキナリ同性愛者出てこないかな〜」とフワッと思っています。


なぜか?って…。

「普通に居るから!」です。



登場にストーリー上の意味はなくていいんです。

ただ通り過ぎるおじいさん同士が手をつないでいたり、ストーリー上、誰が出てきても成立する結婚式のシーンで何の説明もなく女性同士が挙式しているとか、公園のベンチでおばさんがおばさんの肩に腕を回してキスしているとか、ジュエリーショップでお兄さんふたりが腕を組んで婚約指輪を選んでいるとか。
同性愛者は「同性とセックスをするのが趣味の人」というわけではありません。日常があります。ゲイはみんな激しいアナルセックスをしていて痔が心配で、レズビアンはみんなペニスバンドを持っていて装着する役割の人が毎回決まっていて男性経験がある場合は太いのを欲しがるとか、カテゴライズされたオモシロ性生活の刺激的ジャンルではありません。単に暮らしています。日常の中にセックスを取り入れている人も・させられている人も・望んでいる頻度でできない人も・したくない人も・そうじゃない人も・いろいろ居るだけです。
だから、男性同士のお昼休みの雑談で「彼氏と別れちゃったんだよ」「俺も彼女と別れたばっかりだよ」っていう会話がなんのツッコミもなく行われるとか。「今日俺が弁当当番だったんだけど、彼氏の分を張り切ってキャラ弁にしちゃったから超眠みーわ」とか。そういう積極的攻撃性や絶望感や年齢制限の無いシーンがサラッと、同性愛に主題がない物語にも出てきたらいいなと思います。

そんなシーン、日常でたくさんは見たことないかもしれません。「普通には居ないだろ」と思う人もいるかもしれませんが、居られる場所では居るんです。隠れるしかない場所では、隠れているだけで。「普通じゃない」「居ない」と言われることを恐れて、隠せる限り隠しているだけで、案外、多くの人の周りに、本当は存在するんです。

物語を通して「見慣れてる」って、とても大切なことです。
少なくとも「同性愛者なんかこの世のどこにも居るわけない」という感覚・経験は減ることでしょう。
ドラゴンボールを観て、もしかして修行したら飛べるんじゃないか、もしかしたらかめはめ波を撃てるようになるんじゃないか、と本気にできる子供がいるのだから、サンタクロースの絵本を見て実在を信じる子供がいるのだから、物語を通した遭遇体験というのはあなどれません。

だから、「普通居るでしょ」って顔をして、しれっと、同性愛者の居る景色を、ときどき、物語に含めてくれないかな、と思います。

主役クラスで同性愛者を出すには取材が必要な場合もありますし、媒体によっては企画を通すのが難しい場合もあると思います。取材にはコストも必要です。でも、脇役の何気ない会話や、無言の通行人カップルとしての登場であれば、だいぶハードルが下がるのではないでしょうか。

主人公として出てくると「この人は主人公という稀有な存在だからセクシャリティが普通じゃないんだ」と特別視されてしまう副作用もあるので、まったく特別感のないポジションの通行人や名も無い脇役がマイノリティとして当たり前に描写される効能は、むしろ想像より大きいかもしれません。

誰しも一生に作れる作品数は限られていますし、誰しも一日で健康的に働ける時間は限られていますから、同性愛者の主人公が出てくる話にクリエイター生命を注ぐことにはまったく意欲的ではない人も居ると思いますし、私は「理解者であれば同性愛者を重要人物に据えた物語を作れ」とは思いません。

「なにか、人の役に立つことをしたい」「子供世代のためになる作品を作りたい」みたいなことを思ったときは、物語に、同性愛者を「なんとなく」…それは、笑い者としておもしろそうだからなんとなく、とか、差別的で鈍感ななんとなくではなく、「(当たり前だから)なんとなく」登場させて欲しいと願っています。



同性愛者が出てくる《必然性》は要りません

「ふつう」と呼ばれる人たち…たとえば、男女のカップルを描く時、それが男女カップルである理由は聞かれません。

でも、“ふつうじゃない属性”を描く時には《ふつうじゃない必然性》を問われることが多いです。

異性愛者が男女で恋をするのと同じように、当たり前に、たとえば女性同士で恋に落ちるだけなのに、「たまたま同性愛者です」以上の理由をなぜ問われなければならないのでしょうか。

出典:レズと七人の彼女たち


心情としては想像ができます。見慣れていないから、当たり前だと思っていなければいないほど、気に(苦に)なってしまう、…というのは、なんとなくわかります。

でも、だとして、必然性は必要ありません。

なし!必然性、必要なし!!

たとえばあなたが街で同性カップルとすれ違ったとして、すれ違うカップルが同性同士である必然性などあるでしょうか?
同じように、マンガや小説やアニメやドラマや映画、子供を寝かしつける時に話して聞かせる即席の童話などで、物語の登場人物が街で誰かとすれ違うとしたら、ストーリーに影響がない限り、それはどんな誰でもいいのです。異性愛者とすれ違っても、同性愛者とすれ違っても、異性・同性という二元で強引に括ってはならない、どんなセクシャリティの人とすれ違っても。

異性愛者が異性と恋をして異性とデートする必然性なんて「異性愛者だからです」以上に必要でしょうか?
物語に出てくる人物が異性と恋をしていても「なんで同性同士じゃないんだ?」と思う必要はありません。「作中で、“入籍(と便宜表現されることが多い婚姻届の提出)を伴う結婚”によって家族を作って両者と血縁のある子供を作るわけじゃないなら、異性愛者を出す必然性はないだろう!同性愛者でやれ!同性愛者に生まれ変わってこい!」なんて暴論だと思いませんか?
同性愛者のキャラクターはしばしばこれにより存在ごと転換を迫られています。「同性愛者である必然性はないから今の人生を諦めて別人になれ」という要求です。悲しいことですが、非常に多いです。

「必然性なく存在していい」という当たり前のことを、受け容れている物語が増えるといいなと願っています。

それぞれが持っている当たり前のセクシャリティに、《他者を納得させるための必然性》がなくても、人は持ち前のセクシャリティのままそこに居ます。どうしても納得できない方々が「納得させろ。さもなくば変われ」と求めてくるだけで。

出典:好き好きムカつく好き嫌いバカ好き



バカバカしい“疑惑”をこわがらないで

勇気の要ることかもしれません。
これまで登場させてこなかった、しかも、世間から“特殊”と思われやすいキャラクターを出すのは。

「同性愛者を描くことで、俺にLGBT疑惑がかかったらどうしよう」とか、実際に時々こういう気持ちを吐露されることがあります。「自分の子供の世代には差別がなくなって欲しいから同性愛者を出したいけど疑惑をかけられるのが怖い。さりげなく出す方法はないか」とかも。

うん、さりげなく出す方法は、さりげなく出す、だと思います!!

当たり前に居るから、当たり前に、さりげなく出せば、さりげなく出せると思います。街角に居るとか。会話が聞こえてくるとか。「同性愛者の存在なんて異様なことだ」と思う人は悪い意味で注目するでしょうし、「同性愛者がさりげなくモブとして描かれるような世の中はまだ来ていない」と落胆していた人は良い意味で注目するとは思いますが、受け手が大きく捉える場合があるとしても、出し方としては充分さりげないと思いますよ。逆にこれ以上さりげなくなったら居ないみたいになっちゃう…。
セクシャルマイノリティは『新宿二丁目限定で鑑賞できる珍獣コンテンツ』や『新宿二丁目に潜入取材に行くと体験できる非日常な性の扉』ではないですから、夜の新宿二丁目じゃない場所を同性カップルが歩いているシーンがあっても何もおかしくないんです。(二丁目はお酒が飲めたり知らない人と会話することに抵抗がなかったり…というハードルをクリアしないと行っても居心地が難しいです。二丁目には二丁目が楽しいと感じられる趣味の人しか居ません。)

本当は、本来は、さりげなく出せる存在なんです。
大体どこの土地にも居て、普通に生活しているから、特別な舞台設定をしないと登場させられない存在だという認識はしないで欲しいです。
(二丁目に外から通い詰めている人たちだって、行かない時は当然みんな自分の街で暮らしてるんですから。)

「同性愛者だと認識されると不利益を被る」ことが容易に想像できる世の中である以上、「疑惑をかけられたら…」という恐怖を抱く人を、私は責めることはできません。
(…言葉選びの「疑惑」っていうのは、悪いことをしているわけでもないのに、なんだその呼び方?っていうのは思いますけど。愛猫家疑惑とか、江戸っ子疑惑とか、右利き疑惑とか、いちご農家の長男疑惑とか言わないじゃないですか。)
私もたくさん気持ち悪がられて、怖がられて生きてきましたし、同性愛者だと認識されることについての面倒くささについては理解できます。

でも、登場させた理由を聞かれたら「ふつうに居るから出した」とか「見たことあるから出した」とか「友達がそうだから出した」とかで充分すぎるほど充分なんだから、ザッと答えて、シレッと登場させちゃって欲しいな〜と思います。
それこそ、「自分の子供の世代には差別がなくなって欲しいから同性愛者を出したい」というだけで、この上なく充分じゃないですか?

「もしかして、LGBTだからそういうキャラを出したがるんですか?」と問われても、焦ったり嘲笑したりしないでください。「同性愛者の作家だって異性愛者のキャラクター出しますよ」で、本当は対称になっているはずなんです。(同性愛者の作家が上からの指示でどんな物語も異性愛者設定で書かされるハメになる…みたいな勾配については、この対称性を構成する要件とは別の話なのでここでは触れません…。)

ほとんどの作家は、自分の職業は作家でも、他の職業の主人公を登場させます。自分と異なる性別のキャラクターも出します。「その属性を書いた=当事者」なんて等式は成立しません。

私タヌキじゃないけどタヌキの主人公描いてますしね。
私タヌキじゃないですよ。本当に、いや、本当にタヌキじゃないって…タヌッ…違うっ!!!!!

出典:ぽぽんぽ たぬき山女学院(化学科)


自信を持って堂々と、おかしな“疑惑”を論破して頂きたいです。(“自信”が掛かるのは「自分は同性愛者なんかじゃない!普通です!正常です!」っていうことじゃないですよ。)「当事者性がなくても、社会に存在するセクシャリティを登場させるなんてよくあることじゃないですか」って。

物語を作る現場なんて、現実には存在しない属性(魔法使いとか半人半妖とか獣人とかヨガを活用してテレポートするとか)だって当たり前に登場するんですから、存在するセクシャリティを登場させるぐらい、大事件ではないはずなんです。



私はかつて、女性二人で逃避行するマンガを描いていたことがあります。二人は恋中ではありませんが、情愛のある関係でした。

女性同性愛者が、恋した相手(異性愛者の女性)に頼まれて人を殺してしまう話で、二人で逃避行を続けるうちに、衝突したり絆されたり憎んだり恨んだり恋しくなったり愛おしくなったり邪魔になったり悔しくなったり惨めになったりみっともないケンカを続けたり悔やんだりして、償う術のない罪を持て余しながら、タイミングの合わない利己と利他を爆発させながら、歩み寄ろうと試みたりしています。作中で繰り広げられるのは“同性愛者による同性愛”ではありませんが、広義には『同性愛モノ』だと思います。

このマンガ、『情愛の介在する物語』の主人公が2人とも女性であったことについて《主人公が女だけである必然性》を最後まで問われ続け、「男女でも成立する部分もたくさんあるのに、わざわざ女で描く意味が見えない箇所があった」と指摘を受け続けました。「ペニスのないエロスには限界があるね」という評論も何度受けたか分かりません。(べつにエロスとやらを意識したマンガではないけど。)


また、いわゆる「LGBT」という言葉の中では広義的に「T」として紹介されるセクシャリティの主人公で描いたマンガも、やはり同じような反響が起きました。(作中では部分的な手術の完了と戸籍未変更のみ明言していますが、手術という選択は結果として本意だったのか、今後どうする意志なのか、説明的な自称の際はトランスジェンダーか性同一性障害かなどには触れていません。)

ゲイでできる話だから女装をする必然性がない」「主人公がオネエになる必要性がないからオカマのまま描いたほうが分かりやすい」「主人公が性同一性障害であることが掘り下げられていない」「トランスジェンダーという特徴を生かせていない」「全員男らしい男でも成立するのに性転換して同性愛者にした意味がわからない」「意外性を狙ったのだろうがオネエが出てくる理由がないしオネエに今更意外性を感じないから新鮮味がない」「同性愛者じゃなく男同士の友情で描いたほうが自然」「なんで同性愛者になったかの説明がないのに同性愛者が出てくるので違和感を感じた」「同性愛者である必然性のある描写ができないのに社会派を気取るなら同性愛者より困っている人がいる」という感想を、多数頂きました。(※「女装」「同性愛者」「オネエになる必要性がないからオカマのまま」「性転換して同性愛者」等の誤認や混乱表現も含め、頂いた感想の表記を優先しています。)

セクシャリティが“ふつう”ではないことに、《意味が必要》でしょうか。
その存在を見慣れていない人が、「何か意味があるはずだ」「自分とは違う特殊な存在に違いない」「この不可解な存在について、“ふつうの人”を納得させる説明やクダリがあるはずだ」みたいなことを感じやすいだけではないかな…?と私は考えています。
彼女がこのセクシャリティで生まれてきた必然性を仕立て上げて、誰かを説得するような必要性は感じていません。
「自分がどういう性質の存在であるか」を説明することと「自分がこういう性質の存在で居ていい必然性はこれだと思います」と答弁することはまったく異なる行為です。

この物語の主人公の座に就く条件は、屈強な男性たちと素手で戦えて、暴走族として活動する理由がある…この2点でした。それさえ揃っていれば他の条件はどうだとしても問題なかったので、数あるキャラクター案の中から彼女を選びました。この彼女が主人公の枠を担当したから、主人公の物語が彼女のものになっただけです。


逆にエッセイマンガだったりすると、「当事者には描く資格がある」と思われるのか「エッセイ=実在=描く必然性」ということになるのか、理屈はそれぞれだと思いますが、《同性愛者が出てくる必然性》を問われる機会がほとんど発生しません。(その代わり、《同性愛モノを積極的に描く必然性》はちょくちょく問われますけどね…。)

出典:レズと七人の彼女たち


特にプロとして物語を制作する場合、《ビジネスの都合による必然性》を求められることはあると思いますし、そのタイプの必然性の意識は仕方ないことだと思います。

雑誌そのものが『キュンとくる男性同士の恋愛』を売りにしているのに、男性と女性の恋愛モノの連載なんて入れたら、会議で「誰が読むの?」「ページの無駄では?」「他の雑誌で描けば?」という話になるでしょうし、媒体によっては重要人物の属性を精査するプロセスが不可欠であることも理解できます。こうした必然性意識は差別的なものではなく、単なる商品の整理です。
時代劇画専門マンガ誌で現代少年サッカー漫画を連載する必然性がないとか、ほんわかねこマンガ専門雑誌でストリートファイターたちが命を賭した地下格闘技ギャンブル漫画を連載する必然性がないとか、百合マンガ雑誌に60代の男性社長と20代の女性会社員たちの愛人関係濃厚セックス連発ビジネス漫画はまったく必要ない、みたいな話ですね。
鉄道雑誌でカブトムシの飼い方の特集をしないとか、野球雑誌で「この竹刀がすごい!」とかも無いし、犬雑誌の表紙をカメレオンが飾るのは難しいし、魚屋さんに行ったら当たり前だけどLED電球は売っていなかったとか、そういう線引きは行われて当然です。
みんな商売ですから「ビジネスとして展開するにあたっての必然性」が問われるシーンと度々出くわすのは、あると思います。

ただ、商売上の都合を抜きにした《人が、そのセクシャリティである必然性》というのは、まったくもって、最初から問わなくていいんです。同性愛者を登場させようかなと思い立った時は、「ここに同性カップルが歩いている必然性はないのでは?」なんて尻込みしないで頂きたいです。


私の属性が同性愛者で、自分の言葉で語りやすい範囲がたまたま同性愛者について(だけ)だったからこういう話し方をしていますが、もちろんこれは「同性愛者だけそのように扱い、優遇しろ」ということではありません。他を置き去りにしたいのではなく、「あらゆる属性の代弁ができるほどの知識はないので、私は私の話にとどめておこう」という遠慮でもって同性愛者の話だけしていますが、たとえば男性が家事や育児をしている姿を当たり前に描くだけでも、スカート制服ではなくスラックス制服で過ごす女学生を描くだけでも、そもそもさっきから私が連呼している「男性・女性」の二元設定が全てだと信仰しないだけでも、少しずつ小さな世界が変わっていくと思います。

とは言ったものの、私自身も物語を作っていて「ここでこういう属性の人を出したいけど作画予算を捻出できない…」とか(たとえば車椅子とか、盲導犬とか、ベビーカーとか、杖とか、被写体が増えるというのはどうしてもコストの要ることです。お金が無尽蔵に湧いてくるならすべて出したいと思っていても、現実はそうではありません。万遍ない描写のために無理をすると死活問題になって企画も関係者もこの先を生き抜く余力を失ってしまう…ということは当たり前に起きます)、「こういう属性の人を出したいけど、描くにあたって〆切までに調べ物が間に合わないし関連書籍を揃えるお金がない」とか、色んな事情で、結局ストーリーの本筋以外にはこだわれない…ということは本当に多いです。
だから、福祉のために物語の本筋や自身の生活に使う余力の大部分を削る無理は禁物、と思います。理想だけでは生きていけません。それはよく分かります。

ただ「そこまで工夫を凝らさなくても、大きなコストをかけなくても、パッとマイノリティの出演を検討できるシーンがあれば、是非…」ぐらいの軽さ・重さで、「ストーリーを作る人たち、もっと、通行人や風景として、なんとなく同性カップルを登場させてくれないかな〜」「特に同性愛に着目しない作品にこそイキナリ同性愛者出てこないかな〜」なんてことを常々、願っています。


(追伸。

すっっっっっっっげーーーーーーーーーーー当たり前のことだけど、すべてにおいて「現実世界での差別を明らかに助長し得る差別表現が作中で繰り広げられないのであれば」の話です。「必然性ナシでどんどん出していいんだ!じゃあ化粧してクネクネ動くオッサンを出して笑いを取ろう!」みたいな感覚でやったら、当事者からも非当事者からも相応の批判を受けると思います…普通に。
だとか、「禁断の」「プラトニックな」「悲劇の」みたいな特殊舞台装置として多用しまくったら、それもそれで歓迎されない場合が多いと思います。まるで「お前たちの属性は禁じられたことをしていて幸せになれない!」と呪われたり「あなたたちは世俗とは違う高次元で神聖な愛の生活を送っているのですよね!?」と現実離れした期待をされたりしてるようなもんだと思うんで…。

恋愛の形に正解はありませんが、「あまりにも誰から見ても間違った」ものを詰め込んだら当然怒られると思います。これは以前、プロの出版業者同士が雑談していた内容ですが「レズは母親からの愛情が欠如していたから女に走る」のだそうです。あはは、母親からの愛情が欠如して女に走るなら、異性愛者の女性は父親からの愛情が欠乏していて、異性愛者の男性は母親からの愛情が欠乏していて、両親から愛された人は恋愛感情を抱かないのでしょうか???さすがにこれは失望を通り越して笑ってしまいましたが、妄想を知識として披露した場合は咎められることがあると思います。

また、「たまたま同性愛者に生まれただけ」と「たまたま同性を好きになっちゃっただけ」の違いをまったく理解できない状態で意味の深いセリフにトライしてしまうと指摘を受けることがあるかもしれません。
たまたま同性愛者に生まれただけ=同性を好きになる現象がこの人の人生に起きるのはたまたまではなく必然。しかし、同性愛者という属性である必然性は特にない。」
同性愛者であることに必然性はない=この属性で存在する必然性を求められてもそもそもそんなものはない。ただし、同性愛者なのだから恋愛イベントで対象となる相手が同性である性質は偶然ではない。」
たまたま同性を好きになっただけ=たまたま同性を好きになっただけの人の話なので毎回同性を好きになり続ける同性愛者についての話かは微妙。」「同性を好きになったのはたまたまじゃない=たまたま同性愛者に生まれた人に起きる当たり前の現象。」
同性愛者に生まれた必然性がある=同性愛者として存在することに必然性を要求されてしまう発想。」
…これらは私のザックリとした嚙み分けですが、このくらい伝わり方に差が出ます。


「絶対に誰も傷つかない保証のある表現なんて無い」「全員が納得する万能表現は絶対無い」とは思いますが、冷静に学んで考えれば「多くの場合これは大丈夫だろう」「これは人道に違反しないだろう」っていうのは絞られてくるはずです。大抵そこまでしか絞れませんし、絞ったところで失敗してしまうこともあるかもしれません。作った時は大丈夫だったことが年月を経て社会全体のリテラシーがアップデートされたことによりNG表現に変わる可能性も0ではありません。それでも性的少数者への差別を助長しない表現の範囲を探りながら、怯えずに、登場させて欲しいと願っています。

追々伸。

「必然性なんかなくていい」というのは、「必然性が示されない表現のほうがより正しい・優れている・先進的」のことではありません。「存在に対する必然性を求められ続けることは拒絶していいでしょ」程度の意思表示です。

追々追伸。

私は同性愛者の代表ではないので、当然「当事者以外に安易な取扱いを推奨するな」という意見の方もいらっしゃいます。非当事者や意見の異なる当事者が物語に同性愛者を登場させるにあたって、反対派の方から批判を受ける可能性もあります。当事者である私でさえ「あなたの薄っぺらいマンガを見れば興味本位のノンケが妄想だけで作ったのだと一目で分かります。当事者の目をごまかせると思わないでください」というお便りをもらいます。当事者の中にも正解に厳しい人、まあいろいろだよね〜で水に流す主義の人、いろいろです。
当事者ではない人が善意で同性愛者を登場させるには、…俗に言う“めんどくさい”…かも知れないですね。
「めんどくさい」と言い捨てる人が居ますが、ここは、そうやって言い捨てて切り捨てることが叶う属性の人が容赦なく「そこまで考えるのはめんどくさい」と蹴散らせる世界でもあります。やめられる人が簡単に、知る努力を、共存の努力をやめることができる世界です。だけど、やっぱりみんなと地続きの世界でもあります。
めんどうくさいだろうな、とは思うけど、それでも、「できるときはなんとかしよう」としてくれる人がいたらいいなと思って、誰か、何人かは居るだろうし…、それで書いてみました。)

超追伸

『同性愛者である子供たちの自殺率が高いことなどを「正常」「ふつう」という言葉を使いながら話し、大人たちが笑っている動画』を受けて。本当はおめでたい記事になるはずの時期だったのですが…ブログを更新しました。


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■この記事を書いた人の描いたマンガ


■マンガ以外のよみもの


■編集後記

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