恋外202002

ひとふで小説|レンガイケッコン(13)

これまでのお話:前回第1話収録マガジン


(13)

「やめてください、恐れ多くて最後まで何も食べられないまま帰ることになっちゃいます」
 溜息の混ざった苦笑を声に絡ませて、東之は答えた。
「それで、西関さんは何も悪くないのに、私きっと本当は、すごく!…すき焼き食べたかったのに、食べられなかったのと空腹感でちょっとヘイト溜めそうになったりして、西関さんトバッチリ受けますよ、私なんか呼ばないほうがいいですよどうせ楽しい話もできないし」
 冗談半分の前半を言い切ったあとの後半部分、うっかり真性の卑屈が混ざってしまったことに気付かれやしなかったか喋り切る前からハラハラし始めた東之だったが、幸い蓮本はまったく気付いていない様子に思えた。ふとした時、つい、素顔が出そうになってしまう自分を、とことん嫌い直す。
「それで、管理人さんはちょっとピリピリしながら、帰り道、牛丼屋さんに行くんだ?」
 蓮本は東之の言葉に薫る微かな卑屈の匂いを嗅ぎとっていたが、気付かないふりをした。それを暴いたところでお互い幸せになることは何もないから。
「牛丼屋寄ります。もう絶対。すき焼きへの心が残ってるから牛丼よりむしろ牛皿を何枚か頼んだりするかな。小さい牛丼と牛皿2枚ぐらい…」
「すき焼きの代わりだから、つゆだくかな?」
「うーん、多分。普段はそんなにつゆ要らないんですけど、すき焼きのこと考えてるから、つゆ欲するかもしれないですね」
 ふと、東之は自分が誰と話しているのか分からなくなった。相手は『美しすぎる女整備士』という二つ名をメディアに負わされた、あの人気随筆家だ。メディアに負わされたと言ってもその言葉の持つ悪影響を一切無視するのであれば「美しすぎる」と言って差し支えない姿を実際しているし、華々しい、“華々しすぎる普通のマンションの住人”は、テレビでよく見かける人気の文化人タレントだ。バラエティにも出てくるし、ニュースにコメントを入れることもある。数十万数百万のお茶の間に顔を見せたことがある、人気者なのだ。蓮本チカ。
 が。
 好きなのだろうか、嫌いなのだろうか。蓮本を、西関を、自分は。
 蓮本は、人気者だ。が、どれほど人気でも、他の誰が信奉していようとも、いつまでも自意識が強くて、著名人になろうと自己肯定感は低くて、そういうところが嫌いだ。自虐も自省もしつこい作風に苛立った読書体験は事実として変えられない。こんなもの考察未満の空想や偏見でしかないが、あたかも庶民と同じ目線で生きているような自覚も、やっぱり心底、苦手だ、心底。そう、自分は腹の底では蓮本チカが好きではないのだ。この際、ルサンチマンだと認めよう。
 圧倒的強者が“ふつうの人らしさ”を見せつけてくるのは、端的に、むかつく、気に食わない、羨ましい。
 こんな自分も嫌だけど、そう思ってしまう。あなたのほうが私たちより、よっぽど恵まれてるじゃないか、と。
 冷徹な自己分析を読むたびに、そこまで自分が見えているのならさっさと変われと突き放したくなったし、こちらが突き放さなくともどうせ棲む世界が違う。遠くから「さっさと変われ」なんて思ってみたところで、本当に変わったかどうか、変わる必要があったかどうかを確かめる術がないくらい、自分とは関係ない世界の人なのに。

 蓮本の性格が一生このままだとして「なんとなく気に食わないところがある」というこちらの八つ当たり以外、蓮本に掛けられる迷惑など存在し無い。それどころか、胸中の我が儘を処理する理由として機能してもらった分、世話になっている可能性すらある。自分に原因があるルサンチマンでも、蓮本の佇まいに問題点があることにしてしまえばいいのだから。
 見目麗しく財力もあり学まであるような著名人とさっさと結婚してしまえとも思っていた。思っていた、というより、生身の蓮本の存在を意識せずに公共のサンドバッグか何かだと思えば、今も思っている。実際、そんな素敵な著名人と結婚でもしようものなら、それはそれで気に食わないだろう。心の中で、ほらね、やっぱり庶民の悩みにあなたが寄り添う事はない、と、身分違いを逆手にとって拒絶してやることができる。
 通ってくる彼氏を見る限り著名人には見えないが、それでも仕立てのいいスーツやコートを着て現われる。雨の日でも風の日でも、革靴はピカピカだ。エントランスに入った時に決まって腕を軽く一振りしてから確認する大きな腕時計だってきっと高級品だろう。庶民的に言えば“いい男”をつかまえた事に違いはない。
 自分を見ているようで苛立つと感じたことは確かだけれど、「かなり限られた心の挙動が瞬間的に似ている、こともある」というのみであり、地べたに暮らす自分と天上で活躍する人の人生が深く交わるはずはないのだ。
 だから今しがただって、ファミレスなんかに行きたがらないだろうと決めてかかって、実際そうだった。
(ほらね。)
 —————…なのに、目の前の気さくな人は一体何者だろう。
 気さくなこの人は、今こうして話し相手が胸の中で淀を溜め込んでいることを想像したりはするのだろうか。 こんなにも心の乱れた人間を相手にしていることを知っているだろうか。

 邪推と卑屈に満たされた東之の胸中を探る気など持たない蓮本は、コインパーキングの敷地に入ってからも相変わらず食事の話を投げ続けた。
「牛丼か〜、…牛丼もいいなぁ。ああ、牛丼屋さん寄っちゃいそう。車が停めやすい牛丼屋さんが帰り道になくて良かった。そういうことしちゃった時の罪悪感、すごいですもんね…」
「えっ、…西関さん、買い出し帰りには寄らないんじゃないんですか?」
 東之は考え事に気づかれたくない一心で、適切なテンポを守って返事した。
「んー…、ふふ…」
 精算機に近寄った蓮本は、駐車券を探しているのか。ポケットを探って俯いたままだったが、口元がハッキリと笑っているのが見て取れた。
「つまんない見栄張って嘘ついちゃったごめんなさい。私、食材買った帰り道に外食しちゃう常習犯だから」
「えー、なんなんですかあ!嘘ついてえ」
 いたずらっぽい濁声で出た東之の声は心が決めるより先に口を通過した人懐こいもので、それは親しい友人や家族に向けられるものとほとんど同質だった。
「もう何度も心から反省しましたって思ったけど、すごい再犯率。心は反省してるの。体が欲しがるだけで。反省は本当。後悔もしてるし。改善できないだけ。人間って弱いし、カロリー高い食べ物って美味しいね」
 目の前に居る蓮本という人は、気遣いが巧みで、ただ親切で、言葉が軽快で、明るく楽しい、小まめに構ってくれる、素敵な、“職場の近所のお姉さん”だ。こういう佇まいで人と関わることを「聡明」と呼ぶのではないのか。
 あのすっきりとしない本の中に居たのは、一体誰なのか。
 目の前のこの人なのか。

 相変わらず駐車券の在り処を捜している蓮本の横顔をまじまじと見つめる。長く繁った睫毛に深く筋の入った目蓋、ポケットの深くに蓮本が手を挿し入れるたび、よく手入れされた柔らかそうな髪が揺れる。
 蓮本と付き合う男たち、或いは付き合いたがった男たちが何を美しいと感じて、何を手に入れたくなるのか、ほとんど正確に分かる。何から何まで上質だ。
 東之は溜息代わりに一往復の深呼吸をした。
(綺麗な人だな、別世界。…西関さんは、素性を知られた著名人っていう立場、マンションの管理人を邪険に扱うのはリスキーだって考えて、明るく接してくれるのは当然、西関さんの真意じゃなくて、読者サービスの一環ぐらいに受け止めればいいんだよね、うん)
 東之は、好めない作風や“身分”の違い、蓮本が自分に親切な理由を勝手に見つけ出しては、胸中で突き放していた。
 そのくせ、この時間が作り物だったら、寂しい。

レンガイケッコン202002

つづく

無料の理由:「ひとふで小説」は、何も考えずに思いつきで書き始め、強引に着地するまで、考えることも引き返すこともストーリーを直すことも設定を詰めることも無しに《一筆書き》で突き進む方法でおはなしを作っています。
 元は具合悪くて寝込んでいた時に、調子が悪くても寝ながらでも物語作りの傍に居られないもんだろうか…みたいな気持ちでスマホのテキストアプリに書き始めました。ラストも何も決まっていないので、正直ちゃんと終わるかどうかも分かりません。敢えて先の展開を考えないライブ感優先でやっていて、人物たちが最後どうなるのかを私ですら知りません。挿絵もこまかい手の隙を活用して、ご飯を食べながらとか寝る前に、深追いせず、時にタブレットを抱えて寝転んだまま描いています。
 他の無料記事が同じ理由で無料というわけではありませんし、そういう作り方の創作物がお金を得るべきではないという精神論を大切にしているわけでもありません。(「どんな心意気で作っているか/どんな姿勢で創作に臨んでいるか」と「料金を取っていいか/コストがかかっていないか」は関係ありませんから、まったく同じ姿勢で作られたものが有料で公開されることにも肯定的です。)
 ただ、このコンテンツに関しては、どんな物語になるかが見えていないので、値段をどうつけていいか現段階では私自身もわからない、ということでなんとなく無料にしています。

(作・挿絵:中村珍/初出:本記事)

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noteは超・不人気マンガ家(中村珍)が無職になったとき「自力でweb雑誌みたいなのやって描き続けよう」と思って始めました…が、存外にうまくいき、おかげ様で今は忙しいです。犬と、ゲームと、マンガ描くのが好きです。| https://ching.tv

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