どうせすぐロゴ

特別なことは何も起きません

2015年 夏

たとえば中に何が入っているのか分からない300円のガチャを2回ぐらい回して、つまらないものだった時に怒る可能性がある方や、たとえばこの値段をUFOキャッチャーに費やして結局ぬいぐるみが取れなかった時に何日も引きずる性格の方は、読む意味がきっとありません。空気の入ったカプセルです。空気をつかむUFOキャッチャーです。何も起きません。特別なことは何も起きません。


6月16日のこと


 二階の窓から外を眺めている。家と家の隙間に路地が見える。込み入った住宅地の一角から見渡せる世界は狭く、路地というのも、道の中央がそれなりに見えているだけであった。路地の両脇がどうなっているのかを私はよく知らない。家と家で、ちょうど、道路の左右の端が隠れてしまっていて、私の窓からはどうしたって見えないのだ。

 路地の向こうから男が一人歩いてくる。よそ行きの風ではなく、犬の散歩綱らしきものを引いていた。男は道の中央を歩いているのでよく見える。上にグレーのTシャツを着て、下に、それよりも少し濃いグレーのスウェットパンツを履いている。ところが肝心の犬は道路の端っこを歩いているらしく、私の窓の視界に入らない。もう少し道の中央に寄って、男の前を堂々と偉そうに先導してくれるとか、或いは馬車馬のように男の正面を引いてくれるとかすれば見えるのだが、道の端に寄られてしまっては、手前の家に遮られて私の窓からではどうしたって見えないのだ。

 男の飼う犬は限られた自由を満喫しているようで、綱は弧を描いて垂れることなく、横に向かって一文字に、ぴんと張っている。限界まで遠くへ、遠くへ行こうとしているのだろう。

 飼い主の脇から離れてしまう躾のなっていない犬であるから、やがて男の正面に躍り出てくるに違いないと思い、私は犬の姿が見えるまで眺めることにした。あそこまで綱を張ってしまう犬だ。そう長くはかからないだろう。右へ左へ前へ後ろへ、躾の悪い動きをするに違いないのだ。

 私が窓辺に立って男を見つけてから、ずいぶん経った。時間にすればたかだか二分や三分のことであろうが、一秒ずつ数えるように食い入る私には余りに長い。
 犬は横に綱を張ったまま一向に、家々の陰から私の窓の視界には入ろうとしない。痺れを切らしつつあった私は、一階に降りて、サンダルで外に出て確かめようかとも考えた。いやしかし、なぜだ。そこまでする必要があるだろうか。どちらでもいい男の、まだ見ぬ犬である。場合によっては犬ではなく、猫や、ウサギや、育児用ハーネスをつけた人類の幼体である可能性まである。綱を二人で引き合いながら散歩をする習慣のある珍しいカップルである可能性も、この目で犬だと確かめるまではゼロだと言い切るわけにいかない。

 だからと言って、確かめに行きたいかと言えば、そうではないのだ。ただ私はこの裏窓から見える景色に犬を認めて、
「あ、犬だ。」
 と思いたい。なぜなら、“窓をなんとなく眺めていたら犬の散歩をしている男がいた。そんなのどかな昼下がり”…という情景に居合わせたいし、あわよくば、そうしたなんでもない風景を丁寧に眺めた私の日記でも書きたいのだ。それが叶えば、どことなく、それとなく、まるで繊細な物書きのようではないか。そのために私は、興味のない男の犬を一目見ようと、ずっとここに立って、窓に鼻先を張り付けているのだ。足早に階段を駆け下りて適当な上着を羽織り、サンダル履きで路地に飛び出して、電柱の陰から、犬かな?と目視したいわけではない。そんな格好のつかない日を送りたいわけではないのだ。早くしてくれ。早く私の裏窓に、男に連れられた犬として現れろ。

「こっちへ来い!」
 と、思った。“こっち”というのは、要するに、私の窓から見える道の中央寄りである。
「犬!」
 がんばれ、がんばれ、前に出ろ!と願った。

「犬!」

 五分ほど待ったが、結局、犬は窓からの死角のみを歩き続け、姿は見えなかった。今となっては、犬かどうかもわからない。
 私は、罪もない犬か何かに、期待はずれだと思いながら、カーテンを閉めた。

 天気が悪い。真昼間だが空が翳っていて、アスファルトは涼しいことだろう。地べたに近い犬には良さそうだ。晴天のアスファルトは熱い。


 夕立だ。

 それは物凄い夕立で、窓を閉め切っている私の部屋にもバタバタバタバタと雨の打つ音が聞こえてきた。

 昼間、散歩をする男を眺めた裏窓から、外を覗いて見る。雨が凄そうだと思って覗いた外は、もちろん雨が凄かったため、私はいたく納得した。凄い雨だ。

 ふとガラス窓の上方に目をやると、名を一体なんと言うのだろうか、ハエのような、ハチのような、アブか、ブヨか、何かのような、身長にして一センチほど、ウェスト三ミリほどの、羽の生えた虫が、向こう側に張り付いているのが透けて見えた。

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コミック無職

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noteは超不人気マンガ家(中村珍)が無職になったとき「自力でweb雑誌みたいなのやって描き続けよう」と思って始めました…が、存外にうまくいき、おかげ様で今は忙しいです。犬と、ゲームと、マンガ描くのが好きです。| https://ching.tv