恋外201912

ひとふで小説|レンガイケッコン(11)


これまでのお話:前回第1話収録マガジン


(11)

 蓮本のカゴの中身が食べ物一色になっている様子に東之が気付いたのは、先に並んでいた自分のカゴをレジ係の男性が引き寄せた時だった。
「…あの、殺虫剤…」
「ああっ…!やだ」
 話し相手の居る買い出しに夢中で本来の用事をすっかり失念した蓮本は、東之の忠告で難を逃れることができた。お礼に二人分を合わせて払ってしまおうかと思ったが、既に東之は財布を半分開いているし、会計作業は始まっている。ここで「私が払います」「いや結構です」とやってもレジが詰まるだけだろうし、今知る限りの東之の性分を想像すると、あまりこの種の便宜を期待するタイプにも見えない。
(やめておこう。お礼は、また改めて…。お昼代、経費で補助が出るかもしれないしね…)

 かたや商品のスキャンが始まった者。かたや殺虫剤を取りに列を離れた者。両者の間にはレジ待ちの客が三名ほど増え、帰ってきた蓮本が並び直した頃、東之の会計はとうに終わっていた。

 レジの向こうの壁一面に所狭しと貼られた紙は恐らく店舗の広告や地域の広報だろう、中には迷子になったペットを探すチラシもあるように見えた。その壁伝いに、精算が済んだ品を袋詰めする台がずらりと、出入口の脇まで並んでいる。ガラス張りの出入り口と壁の境目には柱があって、その柱のちょうど前に、白いビニール袋を足の前に提げた東之が立っていた。両手は揃えて袋を持っており、視線はどこか、特売の広告でも眺めているようだった。
(管理人さんは、ちゃんと品物の価格とか把握して、特売日とかもチェックして、献立も立てたりして、財布の紐も意識も引き締めて暮らしてそうだなー…知らないけど…。でも、とにかく堅実そうだよねー…!…………知らないけど)
 身勝手な想像が捗る。というか、想像という行為が元より勝手に行われるものなのだ。そうして、この程度の印象から、多くの人は「あの人はああいう人だ」「あいつはこういう性格だろう」なんて、決めてかかって噂話をするのだろう。というのもまた、身勝手な想像だ。蓮本は決して誰からも分からぬよう、音も風もない溜息をついた。

 蓮本が勝手な考えを巡らせている間も東之は柱と張り合えそうなくらい真っ直ぐと立ち、澄ました顔で相変わらず貼り出された何かを眺めていた。
(あれ…?管理人さんって…)
 まるい人当たりと慎ましい態度のせいで気づかなかったのかもしれないし、重いゴミ袋を持って腰を曲げていたり、柄の短いホウキを使って常に前屈みのイメージがあったせいかもしれない。初めて話した日も、ドアポストの前でしゃがんでいたし、管理人室でも腰掛けている。おまけに蓮本自身も平均より幾らか身長のある体にハイヒールまで加えることが多いものだから、遠巻きに見る東之の背丈が思ったより高い場所にあったことで、存外に驚いた。
 踵の底上げもないスニーカーだろうに、袋詰め用の台に備え付けられたビニール袋のロールを交換している男性従業員と並んでも、ほんの少し東之のほうが大きく見える。
 驚いた。
 蓮本の抱えた驚きの質は、東之の体格に関する意外性に遭遇したことが真の理由ではない。東之の背丈に対して、心と呼ばれそうな体のどこか奥が小さく「どきり」とするような動作を感知してしまったからだった。
(それはたとえば、私が非常ボタンなら用もないのに躊躇いなく押されたような、私が風船なら、のんびり浮遊していたところをいたずらに割られた衝撃のような…)————つまらない喩えをしている自覚はありつつも、浮かんだ言葉を胸中に綴る。こういう“原稿用”みたいな口調で感情が湧き出た時は、きまって、目の前の何かに対していつもより深めに心が応じた合図だ。誰にというわけでもなく、誰かに語りたくなるような何か。相手は誰でもないはずなのに、“誰”の心当たりが、本当はあるような、ないような、あってはいけないような、ないと書けないような。
(ああ…これ、本当に、純粋な恋愛感情じゃなくて良かった…。東之さん男じゃなくて良かった…。同じマンションの管理人さんが気になるなんて、我慢するのが大変そうで嫌だし…。っていうか、今更んなって疑似恋愛の糸口になっちゃいそうなポイントに気付くのやめて!私のフェチレーダー!もう作動しなくていいから!あれは企画倒れしたから!おわりおわり!解散!ばいばーい!)
 魂の断片をビジネスに売り払うことと引き換えに身籠った“東之への関心”は、蓮本自ら絶ったはずだったが、一度それを孕んだ後遺症が企画を諦めた今さら現れたことに些か不運を感じる。

 もう大昔だ。お互い深い理由を持たず、一緒に帰っていた同じ委員会の男子が居た。きっかけは、帰る方向が一緒だったから。話してみると気のいいヤツで、話せば話すほど、気軽に笑い合えるようになった。
 東之に感じたそれは、彼に対してある日突然覚えてしまった恋の感覚と良く似ている。
 性格が好ましいからといって本能的な部分に響くことはなかった存在なのに、クラスマッチで猛々しいスパイクが決まったのを見たとか、ある時ふと、重たいプリントの束を軽々と持ってくれたとか、どんな姿をしているか意識して見たこともなかったのに、隣に並んだら守ってくれるかもしれないみたいに、大きかったとか。
 引き金は、いつだってくだらなくて、唐突で、理屈も無いのに、ドキンと撃ち抜かれた瞬間の迫真といったらない。
 後になって本人から聞いた話によれば結局、彼には二つ先輩の彼女が居るらしかった。一部の学友たちの間で「西関があいつに片想いしてるんじゃないか」という噂が流れた頃、聞いたわけでもないのに本人が口を割ったのだ。
「俺の彼女、東高の二年なんだけど、文化祭でミスコン出てたみたいで?俺そういうのよくわかんねーんだけど」
 はにかみながら言った彼から溢れ出す抑えきれない得意げを、いつもより堂々とした態度から読み取った蓮本は、悔しくない、好きじゃない、と自分に言い聞かせながら、明るく元気に大きな声で、返事をした。
「マジで?超すごい!」
 国道沿いを十五分ほど歩き、高架を渡った先にある分かれ道のT字路でいつもならさっさと別れるのに、その日の蓮本は彼女との関係について無邪気な質問を積極的に投げかけたし、惚気も聞いてあげた。たくさん応援の言葉をかけて、最後には、自分も今好きな下級生がいると嘘までついた。四十五分ほどの立ち話を終えたところで急に悲しくなって、
「ずっと言いそびれてたんだけど、トイレ」
 という半分ほど虚偽の宣誓をした。苦笑しながら、いかにも間に合わないと言いたげに、その場で小さく駆け足をしてみせる。別れて、数メートル小走りしてから振り返ると、彼もちょうど振り返ったところだった。手を振る彼の笑顔に、初めてハッキリ「可愛いヤツ」と思った。西関だった蓮本は、失恋当日に恋をし直した不運を感じながら、走って家まで帰って、おやつを食べて、宿題をして、アニメを見ながら晩御飯を食べて、お風呂に入って、髪を乾かしながらドラマを見て、「あー良かった失恋のダメージなんか忘れた」と、安心して布団に入った独りの部屋で、目を閉じて、急に泣いた。

 当時は失恋を受け止める過程で「卒業生が彼女だとフリーかどうかわからない!まぎらわしい!」という不服の発見をしたり、それでいて「彼女が年上って珍しくてなんだか素敵」「年の差カップルってかっこいい」という偏った憧憬にも気を取られることに忙しく気付けなかったが、大人になった今にして思えば「彼女の知らないところで他の女子と帰るなんて彼女的にはOKだったの?」だとか、「けど一年の時できた二コ上の彼女と三年になっても付き合ってたなんて中坊にしては真面目じゃない?」だとか、思いつく感想は色々あるし、また違った評価軸も現れてくる。何より、たった二歳違いの中高生を「年の差カップル」だと思っていたことが、振り返れば甘く微笑ましい。
 あの頃はこんなにも世界が違って見えるものになるなんて知らなかったし、過去の自分たちを子供扱いできるほど大人になるなんて、信じたこともなかった。
 もう、すっかりおばさんだ。
 それなのに「どきり」とする感触は何歳になっても変わらないのだから、まったく困ったものだと思う。オマケに、惹かれた理由まで中学時代とそれほど変わらないのだから。
 それまで気にかけたことがなかった相手が、誠実そうで、堅実そうで、ソフト面の好条件を気にして見ていたら、ふと、ハードの持った好ましい特徴にも気づく。背が高い。
(…あー…っ、なんてくだらない理由…ッ!)
 こういう部分の感性だけ成長できなかったのか、或いは誰にとっても本質的に変わりづらい部分なのか、どこかに分かりやすい心理学の研究報告でも出ているだろうか、気になりつつも調べたことはない。

 とにかく蓮本は、きっと自分は比較的高身長の人物に好感を持つ性質なのだと改めて知った。そんなことは元々知っていたつもりでも、これまでは「見た目は背の高い男性が好き。女性の外見を特に気にしたことはない」だった筈だ。
 もしかすれば恋だとか愛だとか結婚企画とは無関係の造形美に関する趣味嗜好の問題かもしれないが、東之に対する感情の内訳はともかく、東之の立ち姿を「好い」と感じたことには違いない。
(単純すぎじゃない?私。…そりゃあ“ケッコン”まで意識しちゃった相手だから仕方ないけど、背の高さに吸い寄せられすぎじゃない?)
 蓮本はもう一度、壁際の東之に目をやった。気付いた東之は蓮本にだけ分かるくらいに小さく口角を上げた。
 軽く手を振るのは馴れ馴れしいし、深々お辞儀をしたら余所余所しい。どう返そうか逡巡していると、
「いらっしゃいませ」
 と、レジの男性が蓮本を呼んだので、結局あわてて東之に会釈を返して、目を逸らした。
 少し照れながら。

「管理人さん、お待たせしてごめんなさい」
「いいええ」
 会計を終えた蓮本が東之に一番近い台に近くと、東之は向き直って蓮本に尋ねた。
「西関さん、変なこと聞いてもいいですか?」
 蓮本は精算済みとプリントされたカゴを台に置いてから東之を振り返る。それから、百パーセント親しみでできた中身を造り物の怪訝で塗装したみたいな口ぶりで応えた。
「変なこと…なら、一応聞いてもらってから検討してもいい?答えられる程度の変なら、答えると思うから」
 東之は、たしかに、と笑いながら言って、続けた。
「西関さんは、この“台”って、なんて言いますか?」
「え?…なに?」
「この、袋に入れる台。これ、ここ、です。この買ったものを入れる、西関さんが今カゴを置いた“この台”って、西関さんはなんて呼びますか?」
「え、この台…?………いや……あれ…?……何?この台…呼んだことない…。と思う。多分。…誰かと買い物しても、なんだろう…お会計しておくから先に詰めてもらっていい?とか言えば、皆ここに辿り着くでしょ?だから…。トイレとかより、名前で呼ぶこと、ないかもね。なんで?」
「あはは、そうですよね。いや、そこの…」
 東之は一枚の張り紙を指差した。
「店内利用に関するお知らせっていう紙に、ほら、この台のことをサッカー台って書いてあるじゃないですか。…皆さんこれを当たり前にサッカー台って呼ぶんですか?って思ったんです。前はこれ貼ってなかったから、正式名称を今知ったんですよ。これまで聞いたこともなかったし、それで気になって」
 東之の差す先を見た蓮本は、
「あ、広告チェックしてたんじゃなかったのか」
 と言った。
 不思議そうに眉を上げた東之に、蓮本は、堅実そうな印象を持っていることと、待っている間の東之が特売の広告をチェックしているように見えたのだと告げた。

 大きく「サッカー台はこちら!」と印刷されたA4の紙は透明のビニールテープで壁に貼り付けられており、サッカー台の場所を示す文言の下には、生鮮食品や野菜などを詰めるためのビニール袋を過剰に持ち帰らないで欲しいという旨が、実に低姿勢な言葉を選んで書かれている。
 恐らく必要以上に持ち帰る客が多いのだろう。実際、蓮本も東之もそうした客を各地のスーパーやドラッグストアで目撃した経験があったから、口々に、
「居るよねー」
「居ますねー」
 と言い合った。
 ここまでの注意書きは、よく居るであろう迷惑客に対する、真っ当な店のリアクションとして理解できた。しかし珍しかったのはその先だ。このポスターに於いて低姿勢が貫かれることはなく、最後の最後に「たくさん取るのはレジからでも音でわかりますよ!!!?」という挑戦的なフレーズが、フォントサイズこそ小ぶりではあるが、太字の斜体で添えられている。
(たくさん取るのはレジからでも音でわかりますよ!!!?…わかりますよ!!!?…最後のハテナマーク何!?音を上げ調子で読めってこと!?それとも音でわかるかどうか若干の疑いの余地が残ってるの!?)
 蓮本にはそれがどうしても面白く思えた。
 本当は面白くて面白くて面白くて仕方なかったのだが、東之は全くその点に、一切、触れてくれない。触れないということは、なんとも思っていないのかもしれない。
 心をくすぐられた蓮本だったが、表向きは東之と態度を合わせて触れずにおいた。
(ああー、だめだ…調子狂ってる。もう結婚を申し込むわけでもないのに、心のどこかで、この人と笑いのツボがズレていたらどうしよう!?…っていう恐れが…。これ面白くないですか?って、なんか言い出せなかった…)
 蓮本は俯きながら、一瞬ぎゅっと目を瞑って、大きく開いた。気を取り直したい。
(しっかり!西関、しっかり!)
 蓮本の動転など知らない東之は、相変わらず、涼しい顔をして立っている。

レンガイケッコン201912

つづく

(作・挿絵:中村珍/初出:本記事)

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noteは超不人気マンガ家(中村珍)が無職になったとき「自力でweb雑誌みたいなのやって描き続けよう」と思って始めました…が、存外にうまくいき、おかげ様で今は忙しいです。犬と、ゲームと、マンガ描くのが好きです。| https://ching.tv

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