イェダラスカレイツァ_201902

ひとふで小説|1-イェダラスカレイツァ:バルヴァリデ[I]

I

 大巌猫と山耳犬を従えて育った女児が、明らかに「剣を」と決めたのは、相棒を人魔に斃された夕刻。己の剣で初めて触れたのは幾度も幾度も撫でた可愛い可愛い相棒の毛で、初めて斬ったものは可愛い可愛い相棒の皮と肉だった。人魔や魔物の牙や爪は生命を狂わせるはたらきをもっていた。傷口から湧いた魔虫は遺体を蝕み、死者に二度目の命を与える。こんどは、魔族としての。
 だから、愛する者を魔物に襲われて亡くした人々は汗と涙にまみれながら亡骸を解体して、早急に焼き払う必要があった。悼む間も無く。

 〈魔族と人間界の抗争の勃発は人間界と隣界とを隔てる結界が破られたことに起因する〉というのが各国の御用学者の見立であったが、開戦に立ち会った者に存命している人間は無く、市井の人々が気付いた頃にはとうに、人間の平和な暮らしは魔族によって脅かされていた。
 研究と攻防戦は今なお手探りのままで続けられ、「世界の平和はもはや手短に取り戻せるものではない」というのが人々の実感であったし、「人魔族は日増しに勢力を拡大している」というのが最前線に立つ者たちの実感であった。
 狩猟のようなものか、娯楽的に世界に災禍を満たそうとしているのか、魔族の目的は分からぬ。
 ただ、一次的に魔族として生まれた者たちか或いは二次的以降で魔族として命を取り戻した者たちが次々と人間や家畜を襲い、人を人魔に動物を魔物に変え、平穏を脅かしていることだけは間違いなかった。

 そんな中にあっても人々の生活の営みが絶えることはなく、家々の竃から夕餉の支度をする柔らかな煙がほわり、と上がる。
 この付近の山岳一帯で収穫されるアゲア夏山米は盆地で収穫される米類と比べればやや実が細い品種で、炊き上がりの粘り気が少ない。大鍋に山の幸とともに放り込んで炊き込む主食用途が人気で、家ごとに直伝の調味法があり山祭りの日には各家庭が一鍋ずつ持ち寄っては褒め合った。子供たちの間で「どの家の山米鍋が旨いか」が議題になることも多かったが、香辛料の質や米の炊き加減で批評できるほどの舌を持つ子供は稀で、大抵はきのこ類や肉類の量によって優劣を競うかたちとなる。そうした価値観のもとでは、最も山の幸を多く手に入れ易い猟師の家庭で作る山米鍋が支持された。
 たとえば、集落の南端に暮らす村娘シオの母であるサラは腕利きの猟師で、親の代から訓練を続けている優秀な大巌猫と忠実な山耳犬に息を合わせ、山に入れば必ず美味しい山鳥や川魚を目一杯持ち帰ってきた。道すがら腰袋にきのこや山菜類を詰めてくるのも忘れない。
 帰宅すると台に並べた山の幸に酒をふるい黙祷するのは、この村に於いて命をいただくことへの礼節とされた。
 シオの九つ年上の従姉・ターレデもまた、少女時代は“サラおばさん”が腕いっぱい袋いっぱいに抱えて戻る山の幸をあからさまに心待ちにしながら育ったものである。弟の一人娘であるターレデを伯母であるサラは娘のように可愛く思っており、夏山に入る時はシオへの土産だけでなく、ターレデの好物である果実もなるべく多く拾うように努めた。
 ターレデが年頃を迎えて以降も、夏になればシオがサラおばさんの拾った果実を獲物から得た肉と一緒に抱えて届けに来てくれたし、冬が近づけば木の実や薪も分けてくれた。
 その代わりターレデも裁縫や家事の一通りを手伝い、特にサラが猟で不在の間はシオの面倒を一手に引き受けた。

 ふと、戸を叩く音に意識が戻る。
 「おいターレデ!頼みごとがあるのだがー!ターレデェー!いるんだろー?」
 サラおばさんが猟から戻ってきてからはシオの世話をする用事もなく、自宅で得意の刺繍をしながら物思いに耽っていたターレデは、不意に聞こえた宿屋の主人の声で我にかえった。
 この村で若い未婚の女といえばターレデだけで、子も無く、定期的な家事も稼業も抱えていないため、よく村人たちから仕方のない頼みごとをされる。
 またどうせ山黍の皮を剥いて欲しいとか、鞠羊の毛を刈って欲しいとか、腰の具合が悪いから皿を拭いて棚に戻して欲しいとか、そういうことだろう。小さくため息をつきながら振り返ると、宿屋の主人の背後に小柄な女が立っている。見慣れない顔だった。
「うちの宿屋が改築中なのは知ってるだろ。親父さんたちが留守にしているあんたさんの家なら、床も空いていないわけがない!と、俺は睨んだわけだ。それにこのご婦人は防具を求めに来たと言うんだ。あんたさんなら何かできるはず。親父さんたちの倉庫でもあさってもらえないか?なっ、どうだ?」
 宿屋の主人が横柄な口調を続けたからか、ターレデが元より人懐こそうに見えがちな顔立ちをしていないからか、女はいささか済まなそうにしていた。
 気楽で気ままな独居の日々を趣味のおもしろみと合わせて噛み締めていたところへ面倒事が転がり込んでは、まったくもって気が進まない。というのが正直なところだが、この村落で防具職人といえばターレデの家のほかは知らぬから、明らかに“我が家の客人”である。寒空の下に放り出すわけにもいくまい。ターレデは仕方なしに、しかし仕方なさが漏れぬよう、快諾の様相で承諾した。
「もちろんですとも。さあ、どうぞもっと中へおいでくださいな。お寒いでしょう」
「助かりました…。宿賃は宿屋にお支払いするのと同じだけお支払いします。もちろん先にまとめてお支払いできます。それに、私にできることならば何でもいたしますので」
 まるで貴族や王族がそうする時のように、“ヴァンダレ”と名乗る女は畏まった礼を示す姿勢をとった。ターレデは本の挿絵でしかその仕草を見たことがなかった。
 腰に提げた剣にはどこかで見たような気がする手の込んだ紋章と文様が彫られている。どこかで本当に見たのかもしれないし「こんな身分の方々はこんな感じの紋章を身につけているものだ」というのを、漠然と刷り込まれただけかもしれない。絵本に出てきたお城の騎士を飾る意匠は、だいたいこんなようなものだ。とにかくきっと高貴な方に違いないのは、村人と一線を画した優美な身のこなしからも想像がついたが、物々しい紋章を見てターレデは一層そのように確信した。
 ふつう、貴族だとか高貴な家に生まれた人々には“家韻”と呼ばれる家ごとの呼び名があって、自分の名前のほかに、親も子も共通した家韻なるものがくっついてくるらしい。たとえばターレデと父たちの家韻が村落の名である“アゲア”だったとすれば、娘はターレデ・アゲアで、父たちはミゾレォ=ロッシ・アゲアとモミジォ=ロッシ・アゲアというような具合になるらしい。誰がどの家を構成している者か見ず知らずの者からもすぐに分かる仕組みのようだ。家韻はお互い身分を確かめ合わねばならない高貴な社交界ならではの文化かも知れず、ヴァンダレは「ヴァンダレ」としか名乗らなかったので、ターレデは少し残念だった。この山岳地帯に存在するどの村落にも家韻を定める文化や制度は無い。高貴な人たちが名乗るそれを、実際に聞いてみたかったのだ。

 宿の主人は、
「何かあればまた俺に言ってくれ」
 と、得意げに帰っていった。 
「防具職人の娘で、ターレデと申しますわ。ええっと、ヴァンダレ様は防具を求めてアゲアの村に立ち寄られたのだそうで…?」 
「ええ!この村は素晴らしく真面目で丁寧な仕事を為す防具職人様の故郷だと聞きました。なんでも、身につける者の体格や動作に合わせて、とても動きやすいものを仕立ててくれるとか。お店を持っていらしたシン・バッシ王国の城下町に出向いたのですが既に故郷に戻られたと聞き、一度は諦めたのですが、この山脈の麓の村まで来たので、思い切って登ってみたのです。そうでなくとも一介の旅の女が自分のためだけの鎧を手にするなど至難の業。おまけに私はご覧の通り、ですから。既成の殿方の防具をちょっと直したくらいでは、どうしても着用が難しいのです」
 なるほど、ヴァンダレが体の片側から外套を払い除けると、途中で途絶えた腕が見えた。人一倍小柄な背格好に加えて二の腕から下が失くなった右腕を見る限り、この女が行き当たりばったり装備を揃えることは相当難儀なことだと旅をしたことのないターレデにも容易に理解できた。
「しかしあいにくですわ、ヴァンダレ様…。父たちは帰郷も束の間、今はウェノ=タイト共和国軍に招かれ魔族との激戦地にて防具職人の腕を振るっておりますの…当面は村に戻れぬようで。せめて私に跡を継ぐだけの腕前があればよかったのですが、本当につまらぬ基礎しか身につけておらず、私では父ほどの防具が仕立てられないのです…」
「なんと…それは……………それは、………残念だ……。困ったな、しばらくこの村に居着いて防具を待ちながら先のことを考えるつもりが、突然用の定まらぬ旅になってしまった。いやしかし、これも旅の面白味だが。ははは…。そうか…」
 困ったのはターレデも同じで、この旅人の願いを叶える術はなく結局どうすべきなのか分からない。とはいえ、気立ての良さそうな旅人をただ放り出すのも、素っ気なく寝床だけを貸して泊めるのも、いずれも惜しいように思えた。口を開けば結婚を心配をする村人たちとは違う、他愛ない話し相手が欲しい。縁もゆかりもない旅人ならば、それが果たされるかもしれない。
「ねえヴァンダレ様。宿賃は、人数どおりにかかりがちな食料の分だけを少し頂けないでしょうか。寝床はどうせ空いていますし、部屋の灯りも温めるのに焚く火も、どうせ一人でも使うものですから、もし片手で出来るご自分の用事をすべてご自分で済ませてくださるなら、食事のほかに宿賃は結構です。もちろん両手でなければ難儀なことは私がお手伝いいたします。いつまで居てくださってもまったく構いませんわ。その代わり、時々、話し相手になってくださらない?」
「そんなことでよろしいのですか?」
「そんなことなんて仰らないでくださいな。この村での会話と言えば頼まれごとと相手も居ない私の婚儀の心配ぐらい。たまにはどうでもいいおしゃべりをしてみたいんですの。ねえ、ヴァンダレ様。お腹は空きませんか?私の伯母が名うての猟師で、ちょうど食材を分けてもらったばかりなのです。よろしければこの地方の幸を召し上がりませんか。これからのことは、お腹を満たして考えましょう?」
「ああ、それはありがたい!…なかなか言い出せなかったのですが、実は空腹で仕方なかったのです」
 ヴァンダレは照れ臭そうに、今度は庶民のように微笑みながら左しかない手で腹を二、三度撫でて見せた。
 ターレデが振る舞ったのは、岩塩と酸味のある柑橘の実を擦り込んで焼いた尾長魚と、サラおばさんからもらった黒角という草食動物の肉を焼いたもの。それから、畑で採れた球葉菜に薬草を加えて、切った小玉の赤宝玉を添えたもの。味付けは木の実から搾った油で和えてから父がシン・バッシから土産に持ってきた海塩をまぶし、最後に山胡椒をかけた。相当な空腹と聞き、とっておいた麦焼き物も出すことにした。“黄金色の白い山”と呼ばれるこれは、捏ねた黄金色麦を焼き上げたものだ。表面がカリッとするくらい焼いて、乳屋から分けてもらった乳油の塊を塗って食べるとたちまち細かな悩み事はどちらでもよくなる。
 ヴァンダレからは特にこの山地の果物を煮詰めた汁を絡めて焼き上げた肉を褒められたので、ターレデはどこかの高貴な御仁に認められた料理について、心の奥で非常にはしゃいでいた。

 食べ終えた二人は、茶を啜りながら他愛ない話をした。
 黄金なのか白なのか、先ほど提供した“黄金色の白い山”についてヴァンダレは真剣な顔で尋ねるので、ターレデは思わず笑ってしまった。もともとこの地方にあった“白い山”と呼ばれる麦焼き物の亜種のような存在であることを説明すると、名前を聞き間違えたのではないと分かって安堵している様子だった。
 それから、今啜っている茶は隣りの村の畑で採れた茶葉であることや、隣り村と言っても、朝出て歩けば着く頃には日が暮れること。この村には集落がいくつかあるが、世代によって区切る場所と数え方が違うこと。この地方では親とはぐれた野生動物の仔を拾うことが多く、子供が大猫や山犬を扱うこともあることについて。ヴァンダレがこれまで旅で見聞きしたものについて。ターレデがこれまで見舞われた縁談について。好きな食べ物、苦手な食べ物も。
 ヴァンダレはよく笑ったし、ターレデもまた、自身の未婚を問われない会話が久し振りだったので心の軽いまま時を過ごした。

「ヴァンダレ様、失礼ですが、お風呂は、その、毎日行かれるのですか?…もし行かれるなら夜は更に冷えますから、私は早めに入ってしまうのですが」
 高貴な身分であれば毎日体を清める家で育ったに違いない。毎日入るのかと当然の感覚について尋ねることは憚られる。更に、どう見ても毎日は清めていないであろう薄汚れた旅姿に触れることも失敬に思える。それに加えて隻腕のヴァンダレに対し体に関わる都合を尋ねることは、身近に同じ目に遭った人を持たないターレデにとって緊張を要したが、ヴァンダレは意に介さず当たり前のように応答した。
「今は旅の身。湯浴みが容易いものではないことも心得ておりますので、ターレデ様が湯場へ行かれる日にご一緒できればと思います。火を熾すのも水を汲むのも石を焼くのも一苦労ですから、これまでもだいたい皆さんに合わせてお手伝いしながらお湯をいただいておりました。ただ、先ほどまでの旅路で体も衣類も汚れておりますから、部屋や寝具を汚さぬために濡らした布と寝巻きだけお借りできるとありがたいのですが…」
「なるほど。ヴァンダレ様、それなら今日にいたしませんか?ちょうど私もそろそろお湯が欲しいと思っていましたの。我が家は代々の防具職人。火も使いますから窯が敷地にあり、石焼きができるのです。安心して焼ける種類の石をたくさん持っていますわ。村の湯場に行かなくとも裏の川から引いた溜め水を温めて入ることができます。湯場を持っているなんて、建物の質素な見た目から想像するよりは贅沢な暮らしでしょう?」
「それはありがたい!慣れない山を心細く登り、ほんとうに、…ほんっとうに久し振りに屋根のある場所ですから、暖かい湯をとってゆっくり眠りたいという夢ばかり見ていたのです。ああー、なんと幸運なことでしょう。ありがたい!ありがとうターレデ様!」
 ヴァンダレは噛みしめるように言った。

つづく
(小出しにします。)

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「ひとふで小説」は、何も考えずに思いつきで書き始め、強引に着地するまで、考えることも引き返すこともストーリーを直すことも設定を詰めることも無しに《一筆書き》で突き進む方法でおはなしを作っています。
 元々は、具合悪くて寝込んでいた時に「いつも通りストーリーを練って本腰で働くほど元気じゃないし、長時間起き上がって作画するのは無理だけど、スマホに文章を打ち込めないほど衰弱してるわけでもなくて、ヒマだなー…」っていうキッカケで、スマホのテキストアプリに書き始めました。いつもは構成も展開もラストシーンも大体決めて原稿に取り掛かるので、たまには違う作り方も面白いから、即興で突き進み、溜まったものを小出しにしています。挿絵も、こまかい時間を活用して、ご飯を食べながらとか寝る前にiPadで描いています。
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(作・挿絵:中村珍/初出:本記事)

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noteは超不人気マンガ家(中村珍)が無職になったとき「自力でweb雑誌みたいなのやって描き続けよう」と思って始めました…が、存外にうまくいき、おかげ様で今は忙しいです。犬と、ゲームと、マンガ描くのが好きです。| https://ching.tv