ひとふで小説|レンガイケッコン(1)


(1)

「恋愛を結婚と繋げよう、というのがそもそも無理があるんじゃないかと思ったんですよね」
 壇上で話す女性は、気位の高そうな仕立てのいいジャケットを、しゃきっと着こなしている。羽織っている、でもないし、着ている、でもない。しゃきっと着こなしている。
 柔らかな髪が肩にもたれながら胸元に落ち、鎖骨のところどころを隠していた。時折体勢を変えると、そのたび首元のネックレスが照明にキラキラと反射する。
 前職は自動車整備士だったと著者プロフィールには書かれていた。自身の恋愛体験や婚活レポートを綴ったブログが有名になってから『美しすぎる女整備士』という二つ名をメディアに負わされるようになり、現在は随筆家として活躍している。
 本人が「美しすぎる」どころか「美しい」だなんて自称したところ見たことも聞いたこともないし、これまで発売した著作や雑誌を見ても、インターネットで探しても、信憑性のある媒体から発信された一次情報は一切見当たらない。ただ、曲解しやすく切り抜かれた写真や、ミスリードを招きやすく編集したキャプチャー、伝聞形式のつぶやき、おそらく“自称”の友達・おそらく“自称”の元仲良し・おそらく“自称”の知り合いなどの証言、想像や浅はかな推理で辻褄を合わせただけの解釈は供給過多と言えるくらいにあふれていて、いい加減な情報と戯れることを日常のちょっとした趣味や暇潰しとして嗜む人々からはすっかり自称したことにされていた。
 そうして壇上の女性はいつも「美しすぎるどころか足りてませんがw」「良く言えば雰囲気美人」「若い頃綺麗だった劣化BBAがプライド捨てきれずに高望み続けて貰い手なし」「どういう神経してるとこんな図々しい自己紹介できるんだろう」みたいなことを言われている。想像だけど、多分、他者の外見をああだこうだ言っていたら後ろ指さされても仕方ないような者から。多分、悪く言われる部分が有り余っている者から。多分、いびつなプライドを処理できない者から。多分、本当に高望みしている者から。多分、どういう神経なのか心底理解に苦しむほど、図太い者たちから。
(世の中は知らず知らずのうちに、情報を選別する意欲をもって常に疑う者と、選別したつもりで自信を重ねていく者とに分断されてしまったのだなあ)
 と、思った。

 ペンネームを蓮本 チカ/ハスモト チカといった壇上の女性について、このトークショー会場で本名を知る者は恐らく自分と担当編集者ぐらいのものだと思うと、客席に座っているだけの東之 水果/ヒガシノ スイカは自分が頭一つ抜きん出ている読者のような気がして、少しだけ得意げな気持ちになる。
 そうは言っても身の程はわきまえており「自分は特別なのだ」と誤認するようなことはないけれど。ただ、少しだけ秘密を楽しむような気持ちを、とても身勝手に味わっている。
 たまたま東之の勤め先が、随筆家・蓮本チカ、もとい、本名・西関井子可/ニシゼキ イコカの生活圏だっただけなのだ。

 蓮本は立地と身分の割にとても慎ましい都心のマンションに暮らしていた。
 築34年、毎月の家賃は9万8000円と管理費3000円で、東之はそのマンションの管理人として、時給1420円で雇われている。
 蓮本が毎月払っている管理費の3000円も部分的には自分が給与として受け取っているわけで、どこか「蓮本に養われている」という親近感と「いつもお世話になっています」という好感があった。
 だから蓮本のトークショーや著作にお金を払うことも苦ではなかったし、会場にいる読者たちに対しては、
(もっと蓮本さんにお金を落としてあげて!)
 という気分にもなった。蓮本がいくら稼いだところでマンションの管理費が割り増しになって自分の実入りが増えるわけではないのだが、物販に並ぶ観客を眺めては、
(ありがとう、巡り巡って私の時給になります)
 と感じる。
 尤も、自分もまた物販に並ぶ既刊本を買うわけだから、東之の時給も巡り巡って蓮本の実入りになる。東之はリサイクルのマークをなんとなく思い出しながら、ワンドリンク制の会場で注文した手元の飲み物を少しずつ啜った。
 塩が入っているタイプかと思って頼んだトマトジュースは無塩タイプで味気ない。「素材の良い部分で別の問題に目を瞑ってもらえるなんて、素材だけで一生やっていけるほど飛び抜けて素材が良い人だけなんだ…って知るのが遅すぎたし、なんでありのままの自分の良さを見つけてもらえるなんて思い込んでいたのか、今となっては信じられない。若さゆえの盲目かな?そのままの私を愛してくれる王子様っていうか、神様的な人が現れるのを信じていたのかも。だから今は、色々隠すみたいに着飾ってるのかも知れません」というのは、離婚と結婚を繰り返すベテラン女優と蓮本の対談記事で読んだっけ。ライフスタイル雑誌の文芸コーナーに載っていた。

 職場のマンションは、東之の、叔父、の、幼馴染、がオーナーということもあってか、特に大変な仕事はない。警備は警備会社に委託しているし、コンシェルジュと呼ぶほど畏まった佇まいをすることもない。
 掃除をしたり、郵便物の管理をしたり、宅配便を預かったりするくらいで、気が進まないことと言えば、平時はたとえば廊下に溜まった虫の死骸を掃いて最後にちりとりで回収すること、有事はたとえば震災時の断水や停電の不便に対する住民の怒りを一身に引き受けること。
 これらに耐えられればどうにか務まる内容だ。
 時給1420円。一日4回訪れる巡回清掃の時間以外はほとんど管理人室の小窓の前に座っていれば勤務時間が過ぎるこの職場は、電子書籍を読むのが趣味の東之にとって「最高」と呼んで差し支えなかった。他のマンションならこうはいかないのだろう。
 小窓の下にちょうどコンセントがあって、タブレットやスマートフォンの充電器を手元で扱えることも東之のQOLを慎ましくも大きく跳ね上げた。
 ちなみにQOLという言葉は、「今さらQOLという言葉を覚えました」と綴られた蓮本のコラムで覚えた。

 東之が蓮本の著書と出会ったキッカケはくだらなくて、電子書店の《この本を読んでいる人はこんな本も読んでいます》を、なんとなくクリックしただけだ。
 あの日は残酷としか言いようのない雨で、小窓から見えるエントランスでは開け放たれたガラスドアの向こうからザアアーッとマンガに描いた文字のような雨音が、ひっきりなしに轟いていた。バケツをひっくり返したような雨なんて言うけれど、バケツなら一瞬で済むからまだいい。近所に滝でも新築されたかと思うような土砂降りだ。
 ピザ屋のチラシを入れに来たポスティング会社のアルバイトか誰かが豪雨にやられたチラシの束を住民用の不要チラシ入れに投げ込むのを目撃しながら、アタリかハズレか分からない蓮本の既刊を読んだ。長編漫画を買い漁っては貯め込んだ優待コインを使って、無料で。
 マンション管理人室的には、さっきのポスティングスタッフを捕まえて、まず、〈チラシの投函はご遠慮ください〉と貼り紙がしてあることを伝えたかったし、水でぐしゃぐしゃに重くなったチラシの束をこちらで始末しなければならない迷惑についても叱りたかったが、個人的にはあまりの豪雨に同情したため、黙っていることにした。梅雨どきは仕方ない。出勤しただけでえらい。広告を印刷したピザ屋は完全に被害者だし、濡れたチラシを持ち帰って事情を説明すればいいだけなのに、正しい道を選ばずに証拠隠滅を図ったアンタを雇ってるポスティング会社だって非常に気の毒だ。でも仕事中にのんびり読書していられる身分のバツが悪いから今日は私が捨てておいてやろう。
 そう思った東之は、蓮本の著書を一冊読み終えたところで不法投棄されたチラシの束を捨てるために超大判のビニール袋とゴム手袋を持って管理人室を出た。
 さっき読んだ本は、結論から言えば、大筋はハズレだ。けれど所々が痛いほど好きだ。中華丼は嫌い。だけど、そこに入っているウズラの卵だけはどうしようもなく好き。ウズラの卵フライじゃダメで、ウズラのゆで卵も違う。中華丼のウズラの卵がいい。ただ、中華丼は嫌い。東之が常々向き合っている食卓のジレンマと、蓮本の著書の感想は、ほとんど似ていた。
 著書の読破から数日後、“最近よくテレビで見掛けるようになった女性タレント”が蓮本チカであることに気づき、更に数日後、その人が自分の勤めるマンションの住人であることにやっと気が付いた。301号室の、西…なんとかさん。
 住民名簿を手繰る。
《号室:301 氏名:西関 井子可 居住者数:1名 種別:賃貸》

 蓮本の書く随筆は、自意識が強くて自己肯定感が低くて自虐と自省がしつこい割に、自己分析だけは冷静を通り越した冷徹で、一体どうしてそんなに徹底的に自己分析できるのに聡明に生きられないんだ?とツッコミたくなって、本当に苛々する。
 その反面、自分の薄暗さをどれほど分かっていても直しようがない心当たりが東之にも数え切れないほどあるから、「わかる」「わかる」と思わされる。自己肯定感なんて、望むようになってから手に入れようとしたってもう遅い。元々持たせてもらえた人だけが持っている相続系の資産みたいなものだから。蓮本は多分、自己肯定感は相続できなかった。読む限り、それを総て相続したのは、蓮本の次兄だった。自己肯定感を持たずに育った人は、たとえば自分を低く見積もり、他者に尽くし、耐えきれなくなって自滅したり、肯定して欲しくて空回りしたり、とにかく人々から“めんどくさい”とか“ややこしい”とか“メンヘラ”とか何か言われて育っていく。殻は厚く硬く、中身は脆く。
 まるで自分を見ているようだから苛立つのかもしれない。嫌いだけど、深く共感しているし、信頼できる。それでいて、人に等級を振って許されるならば自分より遥かに“上等な女”と評されて間違いない蓮本が、生まれ持った美しい資本を不誠実だったり優柔不断だったり亭主関白だったり身勝手だったり偉そうだったりする超がつくほどくだらない男との恋愛で浪費していることについては、なんだか納得がいかなかった。駆け上がるように幸せを掴む姿を歴然と見せつけられれば棲む世界が違うと思えるのに、商法なのか天然なのか、なまじ「私も皆さんと同じ悩みを抱えています」と言わんばかりの自認が鼻につく。さっさとかっこいい著名人同士で結婚すればいいのに。どうせ悩みの方角は同じでも、あなたは上空、私は地べた。なのに、「私も皆さんと同じ悩みを抱えています」という佇まいは、私たちを、私を、ひたすら安心させた。あんなに美しい著名人でさえ簡単には幸せになれないのだから、市井の凡人である私が誰ともゴールインできないのは仕方ないという落とし所になる。私に良い出会いがないのは当たり前だと思える。後ろ盾のある思考停止は居心地がいい。

 蓮本のトークショーの後にはささやかな交流の時間が用意されていて、物販で著作を購入すればサインをしてもらえることになっている。それだけじゃない。サインを書いてもらう間に少しお喋りをして、最後に握手までしてもらえる。熱心な女性ファンは皆、口々に著書への共感を伝え、蓮本も柔和かつ真面目な面持ちで相手の目を見ながら挨拶していた。中には泣き出す者まで居て、蓮本は優しく肩に手を掛けて何か言葉を掛けている。
 東之の滞在時間だけでも三名ほどの男性客がプロポーズのような言葉で蓮本を口説いていたので、さすが人気の随筆家ともなると人と出会うチャンスは多いのだと知った。質を問わなければ。
 残りの男性客のほとんどは名刺を渡していたので、雑誌とかテレビとか、メディア関係者かもしれない。
 東之は交流に参加せず帰った。
 純粋に傾倒できるほどのファンではないし、マンションの管理人を務めている以上、蓮本にとって身元が割れることは歓迎できないはずだ。
 なにしろ管理人は、蓮本の部屋をどんな男が訪ねたか、どんな男と帰ってきたことがあるか、ほとんどすべてを知り得る立場だから。エントランスの小窓からも、監視カメラの映像からも。
 生々しい私生活の端々と著作の両面を偶然に知る者が目の前に現れるというのは、どう考えても気楽ではない。

 帰り道の電車に揺られながら読んだ新刊は、可もなく不可もなく、しかしやっぱり所々に我が事のような気持ちが綴られていて、背を向けながらそっと手を繋がれるような気持ちになった。
 サインを貰っておけばよかったか。でも、サイン本にはこちらの名前も入ってしまうから、読み終えた後に売れなくなる。電子書籍は場所を取らないから何百冊読んでもいいけれど、東之の部屋は新しい代わりに狭い1Rだから、紙の本は大量に置けない。だから、物理的な本は読み終えたらなるべく早くフリマアプリで売り払うようにしている。
 本当は紙の本をコレクションしたい。こういう時は古くても2LDKある蓮本の部屋が羨ましい。台所の脇にある給湯設備の近くから時々グランデサイズのゴキブリが出るとしても、紙の本の背表紙をどんな順番で並べるか考える楽しみも、様々な厚みの本がぴったり本棚に収まった時の喜びも、それを眺める日常的な満悦も、電子書籍で味わえないから。

 自分の暮らすアパートに帰宅した東之は、明日もマンションの管理人室で食べる昼食を作りながら、弁当箱に入りきらなかった惣菜をおかずにして晩御飯を終えた。日課だ。トークショー会場にはフードメニューもあったが、あまりの値段に食べる勇気が出なかった。量の少ないBLTサンドに980円も払えないし、小皿に一盛りされただけのフライドポテトに490円も払えない。前売りで2800円に割り引かれたチケット代に加えて、一杯600円のトマトジュースを飲む決断が身の丈に合っていた。
 服を脱ぎ、歯を磨いている間に洗濯乾燥機に洗剤を入れておく。いい加減にシャワーを浴びて、安いシャンプーで髪を洗い、これでコンディションが整うのか定かでない安いコンディショナーを使って、入浴を済ませ、タオルで髪や体を拭く。髪を乾かし終えたら今しがたつかったタオルを洗濯槽に放り込んで、フタをして、明日の朝回り出すように予約をセットする。
 ベッドに入って少しだけゲームをしたあと、蓮本の新刊のテーマの一つでもある「セックスは趣味程度でいい。性浴のはけ口は自分で用意できる」という言葉に肯定を求めながら、四分ほどの自慰を終えてそのまま眠りに落ちた。

 管理人室を訪れたこともなくエントランスにある小窓の前を足早に通り過ぎるだけの蓮本と望まぬ形で直接話す機会が訪れたのはトークショーの翌週だった。
 いつものように郵便配達が来ると、エントランスのポストから大きくはみ出した郵便物が見える。端から何度か数えてみたが、どう数えても蓮本の部屋番号にあたるポストだ。
 オーナーから渡された手書きのマニュアルには、
〈個人情報(住所等氏名も)が見えそうなほど、又他者が鍵を使わずに抜き取れるほど郵便がはみ出した際、入れ直しするか、管理人室で預かる。必らず!!〉
 とあった。昔、同じマンションに住む人の個人情報を抜き出しては詳細な名簿化して売っていた不届きな住民が警察沙汰を起こして以来、徹底しているらしい。
 東之は管理人室からエントランスに出て、蓮本に届いた郵便物の様子を伺った。ポストの口に引っかかっているだけなので、誰でも抜き出せる。ご自由にお持ちくださいと拡大解釈する極悪人に見つかったら諦めるしかないほど、大部分がハミ出ている。なんとかポストの中に落とせる角度を探したが、封筒が厚紙でできているので折れ目がつかない程度に歪ませて中に落としてやることもできない。
 宛名シールにはあろうことか、剥き出しの個人情報がプリントされていた。
「小説家 蓮元チカ
西関 井子可 様」
 さすがにこれはまずいのでは。
 世間の知る限り、彼女が小説家ではなく随筆家であることや、筆名に“様”とか“先生”とか添えずに送ってきたことを差し引いても、一体どういう了見でこんな全部事項記載の宛名になってしまったのか。あらゆる情報をメモまで含めて刷り出してしまう古いアドレス帳ソフトでもあるのか。送り主の会社では誰も何も思わないのだろうか。
 どれほど本人が個人情報を隠そうとしても、こんな書き方をしたら郵便配達の関係者やこの郵便物を目にした近隣の住民が“301号室の西関さん”と“著名人の蓮本”とを紐付けてしまう可能性がある。
 管理人室で預かったとして、自身に紐付くすべてが管理人にバレたことを蓮本が歓迎するはずもない。これまで預かったことのある“301号室”の住民の荷物は必ず“西関 井子可”様宛てで届いているのだから、実生活の西関が筆名の蓮本を無防備に使わないことぐらい、せめて仕事の関係筋からは察しがついてもいいのに。
 これだけ個人情報を撒き散らす宛名を作っておきながら、よく見たらモトの字だけ違った。そこは正確な個人情報を書けよ!!!と思った。
 なるべく蓮本の負担を減らしたいと思った東之は、301号室のドアポストまで直接入れに行くことを思いついた。今日は幸い蓮本が留守にしているのを、出掛けた姿を見送ったから知っている。留守中にさりげなくドアポストへ投函してしまえば不審がられることもないだろう。
 と思ったのだが、ここでも厚紙でできた封筒が気丈に活躍して、ドアポストに入らなかった。横幅は充分で、ドアの内側にあるポスト本体もこの郵便物を納めるにあたって申し分ない寸法なのだが、とにかく封筒がしなやかに歪んでくれないので入り口をくぐれず、大部分をドアの外に露出したまま、ポストの奥側の壁に突っかかってしまう。ポスト本体にもう少し奥行きがあればうまく入れるはずだが、今からポストを付け替えるわけにはいかないから、どうしようもない。
 階段から足音が聞こえてきたのは、諦めた東之が301号室のドアポストに入れようと試みた郵便物を抜き始めた時だった。振り返ると廊下にはもう階段を上り終えた蓮本が立っていて、こちらを見ている。
「なにか…?」
「あ、ああ、ああ、あ、あの、私、怪しい者では…!」
「はい…。管理人さんですよね」
 すっかり蓮本と面識はない読者の気でいたが、よく考えたらエントランスを通るたびに住民たちは小窓から自分を見ているのだと気付き直した。
「そ、そうです。管理人の東之と申します。あの、ハスモ…、西関さん。郵便物が…」
 誤って筆名を口にすると、蓮本は表情を翳らせた。
「郵便物が、その、この、こちらの宛名を見て頂ければおおおお分かりいただけると思うんです…。これがエントランスの郵便受けからハミ出していて、さすがに、ちょっと、これ、ダメでしょ?ダメですよね?いつお戻りになるか分からないのに挿しっぱなしにしておくわけには…と、思い…まして…」
 しどろもどろになりつつも宛名が瑕疵だらけの郵便物を手渡すと、蓮本は、ああなるほどと表情だけで頷いたような顔をして、東之に頭をさげた。
 初めて間近で見る蓮本は思いのほか肌に年相応の質感があり、目尻と口元にはいつか年老いたとき明らかになる予定の、薄く小さな皺が刻まれ始めていた。
(すっぴんで、スポットライトも浴びていないと、肌みたいだな。毛穴もあるのか…)
 当然のことを新鮮に思った。人肌が陶器であるはずがないのに、どこか『作られたもの』を標準点としてしまうところがある。こうして見るとそのままでも充分だというのに、華々しさの足元には泥もあれば虫も這う。そのままの写真で雑誌に載れば「肌がボロボロ」「劣化」などと言われるのだろう。私が男で、こんな三十代半ばのお姉さんが身近に居たら、すぐ一目惚れして結婚したくなっちゃうけどな。と思った。
「あ、では、これで…」
 蓮本に一礼して、東之は足早に管理人室に戻った。
 それ以来、蓮本はエントランスの小窓の前を通るたび、東之のほうを覗いて会釈するようになったので、東之もまた何号室の住人がエントランスを通過するか、これまでより一層真剣に見るようになった。

つづく
(小出しにします。)

続きは
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「ひとふで小説」は、何も考えずに思いつきで書き始め、強引に着地するまで、考えることも引き返すこともストーリーを直すことも設定を詰めることも無しに《一筆書き》で突き進む方法でおはなしを作っています。
 元々は、具合悪くて寝込んでいた時に「いつも通りストーリーを練って本腰で働くほど元気じゃないし、長時間起き上がって作画するのは無理だけど、スマホに文章を打ち込めないほど衰弱してるわけでもなくて、ヒマだなー…」っていうキッカケで、スマホのテキストアプリに書き始めました。いつもは構成も展開もラストシーンも大体決めて原稿に取り掛かるので、たまには違う作り方も面白いから、即興で突き進み、溜まったものを小出しにしています。挿絵も、こまかい時間を活用して、ご飯を食べながらとか寝る前にiPadで描いています。
 珍しく無料記事として物語を放出している理由は、今のところ「日常の空き時間に、細かいことは何も考えずに、ちゃんと終わるかどうかもまったく分からずに、勢いで作っているから」という、こちら側の気の持ちようの問題です。(他の無料記事が同じ理由で無料というわけではありません。)


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